創作エッセイ(11)反戦平和も世につれ

反戦平和も世につれ

(2014年 07月 15日 「読書記録゛(どくしょきろぐ)」掲載)
私の高校時代は1970年代の中盤で、朝、学校に行くと教室の机の上に「三里塚闘争を支援しよう」というアジビラが置いてあったりした。名古屋という地方都市の進学校なので、地元国立大学の学生運動家のオルグが進んでいたわけだ。私も中学生の頃から、三一書房の新書などを読んでいたませガキで、当時の高校生らしく左翼にシンパシーを感じていた。
当時の反戦平和の論調は、「自衛隊は軍隊で、憲法違反の存在」である。
若者の間で、自衛隊の人気はなく、自衛隊員に対する風当たりも強かった。「自衛隊に入ろう」という嫌みたっぷりの反戦ソングもあり、自衛隊員の家族がどれほど悲しい思いをしたろうかと、今では胸が痛む。
人権に敏感なはずの左翼の人たちにとっては、自衛隊員には人権などなかったのであろう。

ところが、阪神大震災や、東北地方太平洋沖地震の献身的な活躍で、自衛隊員の評価は高まった。入隊を希望する若者も多くなった。
さすがに反戦平和運動のプロたちも軌道修正を余儀なくされたのだろう。昨今の、集団的自衛権に対する論調では、「自衛隊員の命」をうたい上げ始めた。
ツイッターなどに、現役自衛隊員を装った書き込みで「集団的自衛権に対する懸念」を書きこんで、挙句の果てに、偽自衛官であることを突き止められて書き込みを消す、といった醜態をさらしていたりする。
1970年代から、運動家のお兄さんたちを観察してきた俺には、現在の反戦運動家たちの軌道修正や、自衛隊員なりすましは滑稽でしかたない。
当時から、まったく変わらぬメンタリティーの団塊世代の左翼政治家に、「いいかげん大人になれよ」と肩をすくめて苦笑するしかない俺がいる。

(追記 2023/09/08)
上の記事から9年を経て、当時の気持ちはさらに強まった。さらに、当時この記事を読んで、私を右翼と呼んだ人たちの多くが最近の左翼の体たらくに頭を抱えている。
「日本左翼史」という三部作で、池上彰・佐藤優のお二人が「理想なき左派の混迷」とまで語っているぐらい。記事を書いた当時、正直、ここまで落ちるとは思わなかった。


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