映画レビュー(53)「クローブヒッチ・キラー」(2018米映画)



 アメリカ中東部の小さな町を舞台にしたサスペンス映画。ボーイスカウトのリーダーで町の名士である父親が10年前の猟奇連続殺人鬼かもしれないとの疑念を募らせていく16歳の少年を描いている。

観客の嫌な予感通りに進む

 敬虔なキリスト教徒の町で、高校生男女の交際すら親の監視のもとに小うるさく指導される町。その「良識」や「信仰心」に押さえつけられた欲望が暴発する予感の下、その予感通りに物語が進んでいく。
 だが、それこそが観客の不安感を掻き立てていくという仕組み。予定調和的で意外性のない物語なのかというとそうではない。

主人公の少年の心の落とし前

 この物語の主眼は、「犯人は誰だ」とか「逮捕する云々」ではなく、少年を支配していた父親の威厳の喪失少年の落胆から嫌悪への心の揺らぎこそが主眼になっている。そして、最後に少年は父の抑圧から脱出する。
 いわゆる「父殺し」の神話類型文字通りに実行してしまう物語なのだ。

 アメリカの批評家サイトRotten Tomatoes(ロッテントマト)では「驚きのないストーリーを力強い演技とゾッとするようなウィットで補い、辛抱強く緊張感を高めている」とされていて、巧いこと言うなあと感じた。
 観て損はない出来。
「クローブ・ヒッチ・キラー」

(追記2024/01/22)
 神話類型の「父殺し」とは、ギリシア神話のオイディプス(エディプス)が典型で、フロイトによって「オイディプス(エディプス)・コンプレックス」と名付けられたほど。ひとつの権威に対する革命とか、体制の破壊などを象徴する。
 少年は、男親の父とは対立して克服することが必要なのだ。これは生物として当然のこと。この映画は、その相克をホラーの形で描いたのである。

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