創作エッセイ(9)国旗・国歌に起立しなかった俺

同調圧力を初めて知った体験

(2015年 05月 30日 「読書記録゛(どくしょきろぐ)」掲載)
 私の通った高校は地元では進学校だったため、生徒も大人びた連中が多く政治問題に対する意識が高かった。1973年の入学早々、朝教室に行くと、各自の机の上に「三里塚闘争を支援しよう」というガリ版のチラシが配られているような高校である。70年の安保闘争の盛り上がりを引きずっているころで、地元国立大学の運動家が高校まで指導やオルグに来ていたのだ。
 当然、1977年の卒業式で、「君が代」の時に起立するものはほとんどいなかった。たった一人、韓国籍の女子生徒が一人だけ起立した。当時は、北朝鮮が労働者の天国と言われていた時代で、韓国は軍事独裁の国と言われていた。韓国の味方をすると右翼と言われた時代である。その在日の女の子は勇気があると思った。たった一人起立した彼女はいわば「スト破り」みたいなものだが、私はむしろ彼女の勇気に感動した。私たちは、先輩達の発する反体制オーラの同調圧力で起立を拒否していただけだったからだ。そして、どうして僕は彼女と一緒に立たなかったんだ、と思った。

 私が、右翼系・左翼系に限らず「信念を持つ人たちに懐疑的」になったのは、そんな体験があったからだ。

 国旗国歌に疑義を呈する知識人が未だにいるが、私自身は半世紀生きてきて、国旗も国歌も左右のイデオロギーを超克したものだと考えるようになった。同じ国民として、左右のイデオロギーの違いを止揚して進むための装置ではないかと思うのだ。
 戦後の左翼が失敗したのは、戦争責任や反戦平和の戦いに際して、国旗と国歌を保守派のシンボルと自ら敵に認定してしまったことだ。
 むしろ保守派や街宣右翼に対して、「日の丸」と「君が代」を自分たちのイデオロギーの私物にするな、という戦い方もあったろうと思う。ただ、周辺国と共闘する運動家にはそれは無理だったのだろうとは思う。

「信念を持って抵抗している」という反論の声が聞こえてくる。
 戦時中の抵抗なら投獄や暴力を覚悟しなければならないが、70年代当時も今も君が代で起立しない程度は、せいぜい「眉をひそめられる」程度のことだ。
 そんな程度の抵抗に「信念」なんてありえない。本当に信念を持っている人もいるではあろう。だが、昨今のマスコミで散見する「信念」は、その大半が「自己陶酔」にも見えるのだ。
 戦争中、愛国を叫んで、周囲を怒鳴りつけていた人たちを突き動かしたものには自己陶酔もあったろう。戦後、平和・人権・環境を叫んで周囲を怒鳴りつけてきた人たちをつき動かしているものにも自己陶酔はほの見える。

 やはり、私はひねくれているのだろうが、「信念を持つ人たちに懐疑的」である。

(追記 2023/09/07)
当時の気持ちは、さらに強くなっている。
イデオロギーの左右に限らず、同調圧力やフェイクニュース、印象操作で社会を動かそうとする人たちは絶えない。歴史は繰り返し、人間はいつも同じ過ちを繰り返す。若いころに正義だと思っていた界隈が、当時から全く成長することなく戦っている姿を見ると残念でしかたない。

実は、この卒業式のエピソードは短編小説にしてある。

名古屋ヴォイシーノベルキャビネットというサイトで掲載中。
劇団サラダのしなこさん朗読も聞けますので、ぜひリンク先をお読みください。
一九七六年のジョン・スミス | NAGOYA Voicy Novels Cabinet (nagoya-voicynovels-cabinet.com)


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