1700字シアター(11)骸(むくろ)参りの夢を見る

(2021/08/12 ステキブンゲイ掲載)
 夢の中で私は少年だった。おそらく高校ぐらい。お盆のお参りで、昨年亡くなった叔母のお参りに来ているのだ。
 奇妙なのは、叔母の着飾った骸が中央に飾られていること。
 その骸の前で、家族そろってお盆の会食をしているのだ。
 上座に座った亡骸と一緒にテーブルを囲んでいるのである。
 室内は、しんっと静まりかえっていて、参加している父や母の咀嚼の音だけが聞こえてくる。伯父は叔母の亡骸に何か話しかけている。
 参加しているのはその三人と自分だけで、弟や妹はいなかった。
「骸参りは大人しかできないからだよ」と父が言った。
 同時に、
「そろそろおまえも骸参りの歳だな」という父の昨夜の言葉や、
「俺はもう骸参り行ってるぜ」と言うクラスメートの自慢気な声などが湧いてくる。
「何故。こんなお参りを」という疑問が、すぐに「何故。こんな夢を」に変わるのは、夢を夢と自覚しているせいか。

「大丈夫?」と言う声で目を覚ました。
「うなされてたよ」と妻が言った。
 枕元の時計は朝の四時を指している。
「悪いな、起こしちゃって」と言って妻の頬をなぜた。そして大きくなった妻の腹に毛布を掛けなおしてやる。
 あと二月で出産だった。

「何故、あんな夢を見たか判らない」
 私は友人の弾にそう言った。
 勤務先の近くにある「ペニー・レーン」というカフェ・バーだった。
 週末金曜日の夜。勤務明けであった。
 出入りしているミニコミ誌の編集から「君みたいに小説書いてる子がいるんだ」と言って紹介され、お互いの原稿を読んで感想を言う文芸修行仲間になって、もう五年近く経っていた。
 弾は文芸誌の新人賞の最終候補にもなったことがあったが、私は未だに一次予選に残るのが精一杯だった。
「何年も前に観たカタコンベの映像が記憶にあったんだろうけど、なぜ、それが夢に出てきたのがわからない」
「何かの不安が心の中にあったんじゃないでしょうか」と弾が言った。
 そして、
「この夢、小説にしてみたらどうですか」と言った。
「作品化するってこと?」
「ええ、書くことで何か判るかも知れませんよ。実は、僕、作品書くことで、自分の強迫神経症に気づけましたからね」
「ああ、あの作品か」と私は頷いた。
 不潔恐怖の男を描いたショートショートで、月刊文芸誌の月例コンテストでいつものように賞金を獲得した作品だった。
 原稿用紙五枚で五万円の賞金を獲得する弾を、官能小説四十枚で四万円を得ていた私は、うらやましく眺めていたのだった。
「書いてみるかな」と呟いた時には、既に書く気になっていた。

 いったん夢に見てイメージができているので、後はその光景を描写すればいい。それまで書いていたハードボイルド・ミステリーやモダンホラーとはまったく違う感覚で、夢の中に整合性やリアリティーを盛り込むだけで、どんどん書けた。
 書いていくうちに、この作品は少年の目で描く「通過儀礼もの」だと判ってきた。
 性に目覚めた少年の大人への「通過儀礼」。
 父の、
「骸参りは大人しか出られない」
 クラスメートの、
「俺はもうお参りしてるんだ」
 この二つの台詞がその証だ。
 作品のエンディングで、主人公の少年は覚悟を決めたように大人になることを受け入れる。
 週末の二日で書き上げた。
 タイトルは、
「盂蘭盆会〇〇〇参り(うらぼんえふせじまいり)」に決めた。

 週明け月曜日のペニーレーンだ。
 原稿を目で追う弾に、
「どう?」と聞いた。
 弾は頷きながら読んでいたが、
「これ、栗林さんの不安が見せた夢ですよ」
「不安?」
「仕事とかで不安があると、よくうなされるって言ってたじゃないですか」
「最近、仕事の不安はないけどなあ」
「プライベートはどうですか?」
「妻の出産が心配だ」
「それですよ」と弾。
「それか!」と私も頷いた。
 これは私の通過儀礼なのだった。
 三十を過ぎても今ひとつ子供気分が抜けない小説書きの私にとって、人の親になる、父親になるということは、
「そこまで不安だったのか」と、それが判ってすとんと腑に落ちた。
「で、この短編、どこに送ります」と弾。
「ホラー系のどこかかなあ」
「通過儀礼だけに、予選も通過なんちゃって」
 二人で送り先を検討し始めたときには、不安もクソもなくなっていた。
 そんな自分に、
「ちっとも通過してねえやん、俺」と苦笑いが湧いたのだった。

 ちなみに、蛇足ではあるが、コンテストも通過しなかったことを記しておく。


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