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「レンジでチンする感じでしょ?」

機器分析に関するエッセイコンテスト「ナーチャー賞」に応募し、「カルチュラ・アナリティカ賞」を受賞しました。作品を上げておきます。

結構変わった要綱のコンテストです。ただ実験装置を扱っていた身としては非常に気になるものでした。



「レンジでチンする感じでしょ?」

「レンジでチンする感じでしょ?」
 よく言われがちなセリフである。特殊な機器分析装置を使った測定は、デモや実験室見学の初見者にとっては確かに「大きい装置のスイッチを押すだけ」に見えがちである。その光景から「なーんだ、見た目が仰々しいだけで、電子レンジでお弁当をチンするのと変わらないじゃない」と思われることもあるが、実際の測定は、幾多の複雑で緻密なプロセスに支えられている。
 デモに使われる装置の設定は、検証に検証を重ね、特定の物質の特定の現象を測定するためだけに最適化され、最後のスイッチを押す動作だけを残した状態にしてあり、観客はそのスイッチを押すところだけを見る。例えば半導体に関するフォトルミネッセンススペクトルの測定のデモでは、装置のスイッチを押すと、物質にレーザーが照射され、対応したスペクトルが画面上に丁度いい大きさで瞬時に映し出されるように設定されている。しかしながら、物質からスペクトルをディスプレイ上に表示させるためには、レーザーの波長やモード、強度、焦点の位置、サンプルの形状、結晶構造、表面汚れや表面の凹凸、物の侵入長(レーザーが測定に際し物質内に入り込む深さ)さらには機器自体のキャリブレーションの正確性や型番の違いなど、これらの要因一つ一つが、得られるデータに大きな影響を与える。設定がひとつでも狂うと、スペクトルが表示されなくなるだけでなく、物質がレーザーの熱で焼かれてしまって変性してしまう、なんてことまで起こる。言ってみれば「おいしいお弁当を作るために、電子レンジで温めモードでチンするだけ」の状態にするまでに、電子レンジ自体の細かな設定、電磁波の強度、テーブルの回転速度などを隅々まで設定し、チンをする対象のお弁当の材料の知識を学ぶ必要がある。さもないと、お弁当のおかずが燃えたり、容器が溶けたりする感じである。そんな中測定デモで、測定結果がパパっと3分もかからず瞬時に出るのは、キユーピーもびっくりの最適化の結果なのだ。
 さらに機器分析においては「装置のご機嫌」なんていうものもある。ある日は絶好調でも、翌日はなぜかご機嫌が斜めになり、動作しなくなることもある。結果として「装置ちゃん」がご機嫌を損ねないように、「スイッチを入れる順番とテンポを揃えながら、装置ちゃんに手を合わせて拝む」というルーティンが誕生した。最先端研究で良い結果を得るためのプロセスのひとつは、なんと願掛けのおまじないである。それくらいには、特殊な装置での測定において原因不明な事象が起きると、縋れるものには何でも縋りたくなるものである。ただ、このルーティンを行うことで、測定者である私の精神状態に良い影響を与え、結果として望ましいデータを得られる可能性もあるため、侮れないプロセスだと思っている。
 データが測定できたら、いよいよ分析である。しかし、これがまた一筋縄ではいかない。「レンジでチン」に続き「バーコードをピッ」と商品を読み込めば、自動的にレシートに整理されて出てくるように、データが勝手に分析されて、フォントやサイズ、色遣いも完璧な、絵画のように綺麗なグラフにまとまって出てくるわけではない。物質の分析に利用するアルゴリズムは、特定の物質の特定の効果を対象としてチューニングするため、測定と同様に現象の原理と条件を理解した上での最適化が必要となる。また複雑な計算を含んだ理論値を出すためのシミュレーションには、物理的な理論のみならず、スーパーコンピューターのGPUの性能や個数という計算リソースまで気にする必要がある。さらに統計的な有意さや、個体差の程度などを気にする必要があれば、分析はより困難を極める。
 そしてそんな多くの条件のうち、少しでも変化があると違う専門性になる。例えば、測定や分析をする装置は同じでも、目的の物質が半導体から金属に変わることや、異なる現象を対象にする場合には、別の専門知識が必要になる。日々色んなものを電子レンジで温めている我々にとっては「この物質が測れるなら、この物質も測れるでしょ。色も形も、なんとなく似ているし」と感じる気持ちは分かる。しかしながら「鶏の唐揚げ弁当がレンジでチンできるのだから、たらこスパゲッティもできるでしょ」は通用しない。言ってみれば、電子レンジの原理や構造に加え、鶏の唐揚げ弁当や、たらこスパゲッティの組成や配置について詳しく知らない限り、正確に温めることは難しいようなものだ。
 たかが分析、されど分析である。機器分析の測定デモでは、レンジでチン程度の気軽さを感じ、データ分析の発表では、さらっと綺麗なグラフが紹介される一方で、それらの測定と分析に背後には、幾多の試行錯誤と汗と涙の結晶の上に成り立っている。そんな背景を、本記事を通じてレンジでチン程度の気軽さで味わっていただければ、分析に関わる者としては大変嬉しい限りである。(1995文字)


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