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社会人経験(シャカイジンケイケン)とは何か?

以前こちらに公開した記事書いたが、私は、ハカセ・シンソツで外資系日本支社の一般企業に入社し、シャカイジン・ケイケンを有するシャカイジンとなった。(外資や日本支社についても思うことはいろいろあるが、それはまた別の機会にしたい。)

海外と日本の就職活動の歴然とした差を実感。海外大博士から見た就職活動

しかし、シャカイジン・ケイケンを有するようになった今ですら、そのシャカイジン・ケイケンとは何なのか?がイマイチよく分からない。ここは、ハカセ・シンソツであることを生かして、博士号を得る過程で得た研究の要領で、この「シャカイジン・ケイケン」を調べてみることとしよう。ただあくまでも個人のブログなので、個人的な経験も踏まえていきたい。

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文章として出回っている「シャカイジン・ケイケン」の定義

英語でのシャカイジン・ケイケン

こういう直接考えてもわかりにくいものは、客観的な視点を使うとわかりやすい。英語で検索してみよう。元々日本語だが、あまりにも有名になりすぎた単語のためそのまま英語として知られる単語もある。例えばSushi (寿司)や Karoshi (過労死)など。なんとShakai-jinも英語で検索すると出てくるではないか。

Shakaijin (社会人) is a very interesting categorization of people, which likely exists only in Japan. It is a very broad category for people in workforce, although it literally means people who are part of society. https://www.quora.com/Culture-of-Japan-Why-does-this-tweet-saying-Shakai-jin-sound-scary

「日本にしか存在しない興味深いカテゴリ」である。要するに日本にしかない特殊なカテゴリである。なお同様に日本のシュウカツについても、外国人向けの記事がいくつかヒットする。

こちらとかだいぶあれである。

やんわり要約すると「ユニークなしきたりがあるから気を付けてね」みたいに書いてある。6 Things I Wish Someone Had Told Me About Job Hunting In Japan

ついでに"Shakaijin"だけでなく"Shukatsu"も英語化しているようである。“Shūkatsu”: How Japanese Students Hunt for Jobs

シャカイジン・ケイケンの定義

では日本語でシャカイジン・ケイケンを調べていってみよう。

公務員には社会人経験が定義されている。

例:横浜市(平成30年度社会人採用試験)の必要業務従事年数
民間企業等における職務経験を平成23年7月1日から平成30年6月30日までの間に5年以上有する人。民間経験者採用(社会人採用)試験で公務員になるには?

検索するといろいろ出てくる。もう少し調べたい。

社会人経験とは、高校や大学など学校を卒業したあとに働いたことのある経験を指します。社会人経験とは|正社員経験だけをいう?

要はいろいろ状況によって変わるようだが、「学校教育を卒業したのちの経験を指す」のは共通しているようである。

「学生が下で、シャカイジンが上」

ということは要するに、暗黙で「学生が下でシャカイジンが上」である。何をもって、そう言いたいのであろうか?

学生を下に位置付ける割には、シャカイジンの方々は、社費派遣などで海外のMBAをはじめとした修士課程に行きたがる傾向もあるのは気のせいだろうか?さらにそれらをキャリアアップと呼ぶ傾向にある。学生が下なら、キャリアが下がっているのにキャリアアップなのか。

さらに個人的な経験では、シャカイジンよりも、大学の時の方がレベルも高かったと感じることが多い(後述)。学生のほうが「下」と感じる要素がない。しいて言えば収入位か。しかし後述するが、どうやら収入は、シャカイジン・ケイケンには関係がないようである。

「社会では通用しないよ。」

「そんなの、社会では通用しないよ。」シャカイジン・ケイケンに関連して、よく聞くセリフであるし、個人的に私も言われたこともある。

一方で、個人的な経験として、ケンブリッジ大学において特にOBなどが訪れた際に使う表現に、次のような表現があった。

"Go to the society"
"Came back from the society"

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前者は「社会に出る」という意味で、後者は、一度働いてから、またさらにPh.D.コースなどで「社会から戻ってくる」という意味になる。肝心な表現の意味としては「一般の基準と比べてケンブリッジの基準は、何でも基本的に高い。」であると実感している。

「そんなの、社会では通用しないよ。」を、ここでいう「社会」に合わせると、以下の意味になる。

「社会は出来の悪い人たちばかりだから、そんな高い要求をしてもできないよ。ケンブリッジの普通の基準は社会から見たら異様に高いから、社会に通用するように、社会の人たちに合うようにレベルを思いっきり下げてあげないと。社会に出るっていうのはそういうことだよ。だからその考えは社会では通用しないよ。」

という意味になる。しかしおそらくこれは意味していることが違うだろう。上から目線で言う文脈にあっていない。特殊例であるのは承知であるが、個人的な経験では、シャカイの捉え方としては、これのほうが大きい。

どちらかというと、こういう意味だろう。

「その考えはシャカイでは通用しない。いつまでの学生気分でいるんじゃない。シャカイは厳しいんだからな。」

ということだろう。このシャカイも発言者の周りのみのシャカイであることに変わりはないと思うが。

正社員のみで、フリーターやアルバイトは含まないことが多い

フリーターやアルバイトは責任が無いから、含まないそうである。こういうものを考えるには、例外や、きわどい例を考えると、何かがわかることがある。アルバイトはシャカイジンに含まないについて、これについて深堀りしてみよう。

そもそも「正社員」という表現

正社員の英語に対応する訳は、Full timeであると思われる。しかしながらおそらく意味的にはフルタイムというよりも「プロパー」だろう。本家本元のこの企業の正統派社員。特にシンソツで入社すると特権度が増すようである。場合によっては転職した場合には、シンソツからの人よりも「下」に位置付けられることが多いようである。

「シャカイジン・ケイケン=正社員経験」とすることもあるようである。私もこれに遭遇した。この場合は、正社員の人が、何かを既得したように、正社員が重要であるという考えのもとでは、正社員経験がない人に対して、無条件で上から目線でものをいうことが出来る。いわゆるマウンティングである。

そもそも「外資」・「ガイジン」という表現

そもそも「外資」とは、要は外国資本の組織を指す。これにアメリカの会社やドイツの会社ではなく「外国の会社」である。ガイジンと同じである。なおガイジンは差別用語である。英語の表現ではAmerican Companyのような言い方は耳にするが、Foreign Companyはそんなに聞かない。むしろ聞いたことない気すらする。

さらに日系から外資へ移ることはできるが、逆は難しいらしい。ニッポンでは、一度「外」に出ると、仮に戻ったとしても、異様に厳しいようである。なんだかどこかで見た「田舎に帰ってきたらいじめられた」みたいなマウンティングと同じ構造をしているではないか。

医師の夜勤のアルバイト

医師の夜勤のアルバイトは、完全にアルバイトといっているが、一般的な「シャカイジン」の方々よりも高時給だろう。一日夜勤すると数万円と聞いたことがある。

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しかし、アルバイトにはシャカイジンケイケンを問うことが出来ないくらいには責任のあることはさせないらしいということは、「やべー手術ミスっちゃった☆まあシャカイジンじゃないから責任はないよね☆てへ」が許されるんだろうか?おそらく許されない。シャカイジンでなくても国家資格のような権威があれば、シャカイジン・ケイケンは免除されるのだろうか?

官庁の参与や各種企業などの顧問

内閣府や各種省庁の参与や企業の社外取締役や顧問も、その形態上、1年間の非常勤のアルバイトみたいなものだと思うが、これらも「シャカイジン」には含まないのであろうか?参与や顧問の中には、経歴的に上記の「シャカイジン・ケイケン」に該当するような正社員の経験は無い方々もいるとは思うが、シャカイジン・ケイケンを相当に重視する割に、シャカイジン・ケイケンの無い人をそれらのポジションにつけたり、彼らからのアドバイスをありがたく受け入れるのはなぜなのだろうか?これも権威があればいいのか?

皇族

皇族の方々は、法人格を有する企業等の正社員の経験と、アルバイトの経験もない方もいらっしゃると思うが、皇族の方々に「シャカイジン・ケイケンはございますか?」と公に聞いているところを、少なくとも私は知らない。

他にも起業家やフリーなど様々あるし、延々と出てくるが、とりあえずこの辺にしておく。

「働いてお金をもらった経験は?」

「働いて、お金をもらった経験は?」と言われたこともある。

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「アルバイトや奨学金みたいなやつは少ないから、稼いだうちには入らない。」

確かに、私自身、PhD時代の当時の返済不要の奨学金は、物価の差こそあれ日本円に換算すると、月の手取り30万円程であった。物価の差こそあれ、以下のような記事を参照すると、日本の平均は超えているように思う。

国税庁による『平成28年分民間給与実態統計調査』の結果によれば、1年を通じて勤務した給与所得者(約4,869万人)の平均年収が421万6千円であることがわかりました。
様々な控除など変動要因はありますが、ざっくりとした手取り額は330万円強。これを単純に月給に直すと、27万5千円となります。平均月収はいくら?年代・男女別平均月収と平均月収の高い職種

講演を頼まれた際には海外研修の予算を考えつつ、うまく交渉し、時給換算で数万円にしてもらったこともある。ついでに副業もやってるわけで。執筆依頼などの原稿の寄稿も有償が多い。そもそも、一般社団法人の代表理事も兼任している。

それでも「そんなのは、お金を稼いだ経験にはならない」という答えであった。仮に収入で区別するのであれば、私の上記の経験と組み合わせると、日本の半分以上はシャカイジン・ケイケンを持たないことになる。よって、シャカイジン・ケイケンには収入は関係ないようである。これは上記の医者のアルバイトなどとも一致する。

人種差別との関係

「シャカイジン・ケイケン」と言われた際に感じたものが、人種差別や、ネイハラ(ネイティブ・ハラスメント。こちらも造語)を受けた際と非常に近いものを感じた。端的に言うと、こんな感じの対応関係である。

シャカイジン・ケイケンはありますか?
あなたは白人ですか?

人種差別については、現代社会ののタブーのひとつであり、国によっては逮捕される。

しかし、無意識下で、ネイティブスピーカーは、ノンネイティブを下に見る傾向はあるようである。

個人的な経験では、こんなことがあった。ネイティブの発表者に対して質問をしたら、質問内容が答えられなかった。そこでネイティブの司会者が以下のような発言をした。

「質問者の英語の発音がよく分からないから、打ち切ります」

いや、明らかに今内容で詰まっていたの、司会者のあなたも分かってるでしょう。しかしそれでも自分のところの部下を守りたいのか?「英語が~」と、論点をずらしていた。

英語ネイティブスピーカーによる「ネイハラ=ネイティブハラスメント」

要するに、自分たちより「下」だと思っていた、ノンネイティブにはどうしても負けたくないが、他に言えるところが何もない。だから苦し紛れに論点をずらす。その時に人種や発音は格好のターゲットにしやすい。これはシャカイジン・ケイケンにも似た傾向がある。

相手が、自分の予想や、自分自身よりも何かに秀でていたとする。しかし、典型的な日本人の「相手よりも何かしらでは優位でいたい」という感情と相まって、相手がシャカイジン・ケイケンが無い場合には、「シャカイジン・ケイケンは無いんだろ!」といえば、シャカイジン・ケイケンが重要と考えられているシャカイにおいては、確かに一矢報いるかのように振る舞うことはできる。磁石のN極からS極に向かう地場のように、すべての位置において向きがあるような感じである。まあそんな報い方をして何になるのか?というのは置いておいて。

「俺は跳び箱7段飛べたんだぞ!お前は6段までだっただろ!お前の踏切台は木のやつで、あのバネの良く跳ねる踏切台じゃなかったんだろう?調子に乗るなよ!」・・・「ところでなんで今跳び箱のしているの?なんも関係なくない?」

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スポーツ豆知識

という状況に近いものを感じる。

「シャカイジン・ケイケン」は、何が中心にあり、誰が得をするのか?

誰が得をするのか?これがどういう傾向の人かを考えれば、シャカイジン・ケイケン重視で得をする層や利害関係がわかる。これによりシャカイジン・ケイケンへの理解が進むであろう。

最近ケンブリッジ大学の日本学研究科よりこんな記事が出ていた。特に以下の部分である。

ぜひ日本人に知ってもらいたいんだけれども、中国はこの点が違います。中国ではケンブリッジ大学を卒業すれば、とても高く評価されます。でも、日本でケンブリッジ大学を卒業しても他国ほど評価されません。東大の方が評価されるでしょう? だからケンブリッジ大学を卒業した日本人学生は日本に戻りません。そのままシティなどに就職してしまう。スウェーデン人ならケンブリッジ大学を卒業したらスウェーデンでの就職がとても簡単です。そこが日本の難しい点です。今、ケンブリッジ大学の日本研究が危ない⁉ 【ケンブリッジ大学日本研究教授ミカエル・アドルフソン】

他の国ではケンブリッジ大学を出たといえば、かなり有利に働く。一方で日本ではケンブリッジ大学より東京大学のほうが評価される。

この記事を書いているところで、こんなTweetをいただいた。


有名進学校卒であれば、それらも免除される可能性があるらしい。

さらに一部界隈では「何年入社・何年入省・何年入行」をやたら気にし「東京大学の学部の入学試験に何番で合格したか?」を定年間近や、定年後ですら気にすると聞いたことがある。(これ本当なんだろうか?)

要するに、評価基準が18歳の時に行う大学受験辺りで止まっている。要するに、シグナリングは「受験偏差値」のようである。これにより日本で日本人がシャカイジン・ケイケンを重視するのは、

「日本の大学受験までの偏差値の序列を崩したくない・崩されたくない。」

というのが発端のひとつではないだろうか?人生100年時代においては18歳の時点の順位のレンジのまま、残り約82年の余生を過ごしたいということではないだろうか。ただこれは、消化試合にしては長すぎる。10分クオーター制の試合では第1クオーターの7分目あたりである。最初のスタッツがまだ出ていない。

これは飛び級もなく、年次・年齢の文化が強い日本には、1本の評価軸「大学入試の時点の偏差値」に収まる。近代の日本の採用方式である新卒採用・年功序列のメンバーシップ型雇用では、この順位が崩れる要素がさらに減る。入社した際に人事が配属先を決める配属運みたいなのがあると「運が悪かった」とスケープゴートに出来る。

「決して自分が無能だからじゃない。配属運が悪かったんだ!」と。

ここが守られれば、難解な漢字にやたら詳しかったり、素因数分解がやたら速かったり、マークシートをきれいに塗るのがやたらうまかったりするスキルが生きてくる。「俺なんて冊子に名前乗ってたんだぞ!」「俺なんて図書カード送ってきたんだからな!」という優位を曲がりなりにも保つことが出来る。

以下のツイートのように、卒業後何十年もたっているのに「俺は〇〇(難関進学校名)中学出身なんだぞ!」と言っている人を見かけたことがある。むしろ結構な頻度でいる感じがするのも、偏差値至上主義で説明がつく。


中学校受験もしていなければ、高校も進学校ではないいような私からすれば、「(・・・!?何が言いたいんだ?小学6年生の時が人生のピークだったって言いたい?それにしてもなぜ?)」と感じていたのだが、日本ではお受験偏差値が支配的なシャカイであると考えればつじつまが合う。

唐突に関係のない話題を出してくるという意味では、こういう会話の返しに個人的には、「そんなことよりキンボールでもやらない?名前からしてイカしてるっしょ!」とか言ってみたいが、上の状況を踏まえると得策ではなさそうである。

キンボールはこちら。「オムニキン、ピンク!」

伝統的な大企業の方がシャカイジン・ケイケンの要求傾向が強い

また丁度流れてきたのだが、東京大学の卒業生は、日系大手に就職する傾向が強いらしい。(元ツイが消えていた。)これは、上記のシャカイジン・ケイケンで得をする層が、受験偏差値と相関があることを加味すると、つじつまもあう。おそらく、東大生効果、すなわち日本の受験偏差値効果が最も有効なのは、日系大手企業に一致する。

シャカイジン・ケイケンが無いのに生意気

シャカイジン・ケイケンについては、何かを言うと以下のような意見が出がちである。

「シャカイジン・ケイケンが無いのに生意気だ。」

こちらの一文がありがちで成り立つ一方で、次のセンテンスはどうだろうか?

「これといったスキルがなくシャカイジン・ケイケンと年齢だけが取り柄のKKO(キモくて金のないおっさん)予備軍なのに生意気だ」

こちらはどうやら二ホン・シャカイでは成り立ちそうにない辺り、日本はシャカイジン・ケイケンと年齢が支配的な社会であることがわかる。なお生意気の辞書的な意味を調べると以下のようにあり、「年齢」が最初に書いてあり一番重要であることと一致する。

年齢・経歴・能力にふさわしくないようなことを得意げに言ったりしたりすること。また、そのさまや人。 「 -を言う」 「 -な口をきく」 「子供のくせに-だ」 「 -ざかり」https://www.weblio.jp/content/生意気

これらから導かれる「シャカイジン・ケイケン」のより正確な意味の予想

これらを踏まえると、シャカイジン・ケイケンは、以下のようにまとめられないだろうか?

日本社会における先輩や年上からの理不尽や、「みんな」からの同調圧力を受け、「シャカイとはそういうもんだ」と自分の意見を殺しつつ受け入れ、現在暗黙の了解とされている、(主にお受験偏差値が支配的な)序列を乱さないように適切に忖度し行動する経験。ただし、例外として、権威主義としての「お上」が認めたものを前提とする。

このように説明すると、付属するいろんなもののつじつまが合う。少し見ていきたい。

主に日本でのケイケンしかシャカイジン・ケイケンに入らない

上記のシャカイジン・ケイケン条件が、日本での経験しかシャカイジンにカウントされないのは当然であろう。「シャカイそういうもんだ」ということが発生し、自分の意見を殺し忖度をする状況が発生しうるのが日本社会のみである。よって、たとえ海外で仕事をしていたとしても、シャカイジン・ケイケンには含まないのであろう。なぜならば日本国外はシャカイではないので。

その割にはそんなシャカイではない外国で日本人が活躍すると「日本人が活躍!!」「日本代表が勝利!」と持ち上げるのは何なのであろうか。趣旨から外れるのでまた別記事で考えていきたい。

シャカイジンも3年

「とりあえず3年は経験しないと、仕事なんてわからない!」

という通説もシャカイジンの一部である。しかしこれは、有名なことわざ「石の上にも3年」では、石の上に3年も座っていれば、冷たい石も少しは温まるようだが「シャカイジンも3年」すれば、無性にストイックにTOEICを受験したくなったり、履歴書・職務経歴書を手書きで書きたくなったり、以下のような構文を含んだ演説を始めたくなるのかもしれない。

「シャカイジン・ケイケンは重要であると思っている。だからこそ、シャカイジン・ケイケンは重要であると思っている。そしてシャカイジンのシャカイジンによるシャカイジンのためのシャカイジン・ケイケンをこの日本から決して絶滅させないために、シャカイジンである我々が、ここで固く決意することである。」

人民よりはシャカイジンのほうがやたら狭いのは置いておいて。

まだシャカイジン・ケイケンが1年の私にとってはみじんも感じない。私にはまだシャカイジン・ケイケンが足りないようである。

日本人の「ずるい」という考え

「こんなに(お受験偏差値が高くて、冊子に名前が乗っていたくらいに)優秀な私ですら、シンソツの最初の3年間は、雑用ばっかりの下積みをしたんだぞ!それをお前が免除されるだなんて許せない!お前だって苦しめ!」ということであろう。

・・・とある国で国際的に活躍して兵役を免除された人がいて、その人に対して「ずるい!不公平だ!」ていう世論が上がるのと似た傾向に見える。

正社員でなければ、理不尽から逃げられてしまう

上の定義によると、シャカイジン・ケイケンは、逃げられない状況での、「そういうもんだ」と耐える経験が必要である。よって、責任の重さがどうのこうのいうのもあるが、新卒採用年功序列の、シャカイジン・ケイケンが積める組織以外では、理不尽から逃げることが出来きてしまう「そんなずるいやつ許せない!」からシャカイジン・ケイケンとして認定しない。日本のパワハラ文化に耐えた経験が必要ということである。

人材流出・人材追い出しとの関係

こちらの記事では「人材流出ではなく、追い出している?」と書いた。

海外と日本の就職活動の歴然とした差を実感。海外大博士から見た就職活動

しかしこれも、もしかしたら、一部の人々は「驚きはない。流出した理由を聞いて、我々がシャカイジン・ケイケンを重視している効果だと思った。的確に国際社会に発信できていると思う。」と考えている可能性もあるだろう。30年後に自分が何歳かを考えながら、環境問題だけでなく、人材流出問題もハッピーにセクシーにとらえられるのかもしれない。

もし選べるなら・・・?

こちらの記事に書いたが、以前のシュウカツの際と同様に、個人的には変わってほしいとは思いつつも、構造上あと数十年は変わらない気がする、日本のシャカイジン・ケイケン。個人ではどうすればいいだろうか?

各文化圏でしきたりが違うものの「日本の大企業の正社員」と「世界のそれ以外」とざっくり考えると、それ以外のほうが機会が大きいし、今後の成長も見込める。さらに前者は、今後成長がなかなかに見込めないどころか、衰退がほぼ必然的に起こる。

ということは「シャカイジン・ケイケン」はそこまで必要がなく、今度必要性は下がってい行く可能性が高いのではないだろうか?むしろシャカイジンケイケンにこだわり過ぎると、逆に機会を逃してしまいそうである。

個人的には、シャカイジン・ケイケンの今後が気になって仕方がない、今日この頃である。



本記事はブログからの一部改訂転載です。

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