#14 高校時代の自分④

ここまで高校時代のことを書いてきて感じたことは
やはり、あの頃には戻りたくない という気持ちがより強くなっていったこと。

それは決してマイナスなことではなく、今が幸せである証拠だと思う。

あの頃がもし人生の全盛期だったら、たぶん今は
つまらない毎日を過ごしているのだと思う。

今の自分は「生きている」
あの頃の自分は「ただ存在している」
響きは同じように聞こえるが、意味は全然違う。


高校3年生の5月に行った滋賀遠征の時の話

毎年野球部は、土日や連休を使って他県に遠征に行っていた。
いろんなチームと試合して、夜はチームメイトと街を歩きながらご飯を食べ、スタバに行ったり買い物したり、ホテルに帰って色んな話をしたり、それはとても楽しかった。

学生は、「今年で最後」というワードにとても敏感な時期である。

滋賀遠征は最後の遠征だったこともあり、いい成績を残して
最後の大会になんとしても出たかった。


練習試合は1日に2試合する。
1試合目は一軍ガチメンバーでの試合
昼を挟んで2試合目は二軍補欠メンバーでの試合をする。

私は二軍の試合ですらも出るか出ないかわからない選手だった。
監督に保険をかけられる立ち位置だった。

他の選手と比べて試合に出る機会のない自分は、少ないチャンスをものにするしか無かった。




高校野球で1番つらかった時期はいつですか?
ともし聞かれたなら
3年の4月~7月と迷わず答えることが出来る。

その時期がつらかったのは、もっと前からの日頃の行いが悪かったからだと7年の歳月が経ってからようやく気づいた。

ある日の練習中、一つ下の後輩に
「僕、ハジメさんのスイングで修正した方がいいところを何個か見つけましたよ。」と言われた。

「そうなの?どこらへんが?教えてくれてありがとう。」と言う人がほとんどだと思う。

ところがどっこい、スーパーひねくれ野郎だった当時の私はこう吐いた。


「は?急になんやねんお前」

ちなみにその後輩は私に1ミリの悪気などなかった。
良かれと思って言ってくれているし、実際私よりも野球が上手だった。

高校時代の私は、誰かに相談したりアドバイスを貰うことがダサいと思っていた。

勉強でもそうだ。
ほんとうは勉強を教えて欲しいけど
「わからない。」ということは
「私はあなたに負けました。自分の力じゃ解決できないどうしようもない男です。助けてください。」と言っているような気がして、相談することが億劫になっていった。

野球でもそうだ。
ほんとうはその後輩にどこが悪いかを教えて欲しかったのに
「先輩だからお手本にならないといけないのに自分が教わるなんて、私はあなたより野球が下手です。」なんて思われそうで怖かった。

自分の殻を破れないだとか
結果が出ない原因は、人の話を聞かないところにあった。

自分で解決できる力を持っていない
人の話を聞く勇気もない

しょーもないプライドだけを守り続けた結果、大切なものがなくなっていった。

そして迎えた滋賀遠征。
私は運良く二軍の試合に出ることが出来た。

2打席ノーヒットで迎えた9回ツーアウト。
私が最後のバッターだった。


打席に立つ前に監督に声をかけられた。


「お前ここで交代させようと思ってたけど、やっぱり打たすわ。」

……は?

今から打席立つやつに言う言葉か??
お前は人のやる気をなくす天才か??

ベンチからは「力抜け!考えすぎるな!自分のスイングをしろ!」
と声援をかけてくれた。

この時、再びスーパーひねくれ野郎ハジメが君臨する。
「どうせ俺が打つなんて思ってないやろ」

はい。そりゃ打てないよ。

高校時代の自分は常に人の顔色を伺い、自分の行動に責任を持てず、誰かに合わせるだけの人間だった 

自分と向き合おうとしないから自分の行動に責任が持てない。
自分の行動に責任がもてないから誰かに合わせてしまう。
誰かに合わせてしまうから自分の考えを持つことができない。

「自分のスイングをしろ!」と言われても自分のスイングがそもそもわかっていなかった。
自分と向き合おうとせずに、本質を見抜こうともせずに、ただ正解だけを求めていたからだ。

私はその打席で空振り三振した。
そして試合が終わった。
1年生で、まだ試合用のユニフォームが届いていない、真っ白なユニフォームを着た相手ピッチャーからかすりもしなかった。

スーパー1年生でもない、普通の球を投げる普通のピッチャーに。

滋賀からバスで学校に帰り、迎えに来てくれた母親の運転で家に帰る。
私は車の中で声を出して泣いた。

今までの自分の2年半は何だったんだろう。
そもそも小学校1年生から今まで何のために野球をやってきたのだろう。
朝練も放課後の練習も夜の練習も毎日真剣にやってきたのに
なんで自分だけなんだろう。と思っていた。

その時の涙は悔し涙だけではなかったように思う。
「自分はこんなにも練習してるのに、自分だけ結果がでないのはおかしい。」の涙でもあったな……
今思えば恥ずかしい限りだ。

どうやって結果を出すかを考えず
どうして結果が出ないのかをただただ嘆いていた。

結果が出ない原因なんて自分の胸に聞けばすぐわかるのに。
わかってるのにわからないふりをした。
心のどこかで誰かに慰めてもらいたかったのだろう。
自分の事を可哀想だと思っていたのだろう。
無力で臆病な自分を正当化したかったのだろう。


今になって声を大にして言えることがある。

自分のことを可哀想だと思ってる人は絶対幸せになれない。


高校生活の中で高校三年生が1番つまらなかった。
野球も、学校生活も。

しかしそれは周りのせいではない。
全て自分のせいだ。
自分がつまらない人間だったから、周りもつまらなく見えていた。
あの時の監督の言葉に殺意が湧いたのもそうだ。
自分に実力があれば、自分が人間的にしっかりしていれば、笑って許せたのかもしれない。
まあその頃の自分はそんな事考えもしてなかったのだけれども。

以前書いた「高校時代の自分①」で
あの頃の自分に言ってやりたいことをつらつらと書いたが、おそらくあの頃の自分に言ったところで耳を傾けたりする保証などどこにもない ということをこの記事を書きながら感じた。

高校時代の自分のことを今になって書こうと思ったのは
しょげることが目的ではない。
過去の自分の事を読者に可愛いと思って欲しい訳でもない(話を聞いて欲しいという気持ちは多少ある)

過去はしょげるためにある訳ではなく、未来のために学ぶものだと知ったからだ。

私は天然だ。
1度や2度痛い目をみないと、事の重大さがわからない人間なのだ。
私が浮き足立ちそうになった時のための備忘録としてnoteに書こうと思った。
これを機に、名前も"ハジメ"から"ハジメの備忘録"へとちゃっかり名前を変えた。

とりあえず高校時代の話は一旦終わりにしようと思う。
また書きたいことが見つかれば⑤でも⑥でも書くつもりだ。


かなり長文になってしまいましたが
読んでいただきありがとうございました。