見出し画像

何食べ的ていねいな暮らし

ていねいに生きるってことは、現代の速度ではとても難しい。
すんごい田舎に住んで、野菜作って肉絶って、そんなことがLOHAS的でていねいに生きるイメージで、憧れてみたりはするけれど。
どうしたって肉は食べたいし、美味しいケーキ屋さんも、ハーゲンダッツやスタバのフラペチーノもない人生は、やっぱり私には寂しそうだ。

すさまじい量の子供達のご飯と弁当と、洗濯物と、警察や学校からの電話がなくなって数年。
バジルを育てて、ジェノベーゼソースを作ってみたりしたら、なんだかていねいな感じで嬉しかったりしている。
最近は、ホームベーカリーを買ってパン焼きを始めた。
ホームベーカリー用のミックス粉でちょっとアレンジするだけで、なんちゃって具合は甚だしいのだが。

それでも、なんだか生きた心地がしている。
嵐のような毎日食べさせて、洗った服を着させて、やらかしたことへの後始末で、息することが精一杯の日々から、脱出できたことを感じたいのだ。

だが、長年培った主婦の金銭感覚はまるで変わらない。
肉は切り落としか鶏肉しか買えないし、バターだってかごに入れるのに勇気が要る。
スーパーでは、この物価高で「私調べ史上最高値」で買わなくちゃいけないモノばかりだ。
バジリコソースも、ホームベーカリーパンも、「買うより安くすむこと」が私にとっては、最重要なのだ。
こんなご時世に、LOHAS的でかっこいいだけでかえってお高くつくことは、私の主婦根性が許さないのだ。

そんな私が、今ドハマリしているドラマが「昨日何食べた?」なのである。

シロさんは決して高くも珍しくもない材料で、
珍しくもない毎日の料理を、肩肘張らずにていねいに作る毎日を楽しんでいる。

無駄のない買い出し、無駄のない丁寧さ、そのシンプルさが心地よい。
そして食べる相手を思う気持ちが込められた料理。
美味しいに決まっている。
料理なんて、ほんとにそれだけでいいのだ。

普通の材料で、普通の料理を愛しそうに作って、愛しい人と一緒に美味しいって笑って食べる
それがしあわせなんだと、ていねいな暮らしなんだと教えてくれる。

LOHAS的かっこいいを、ていねいと勘違いしはじめていた私の心にズキュンときたのである。

何より大切なのは、それを受け取ってくれる人だ。
と先週の回では描かれていた。

ケンジは、ご飯を作ってくれるシロさんの帰りを待っている。
自分でキッチンを使った後はちゃんと片付けておく、帰りが遅かったらご飯は炊いておく、
洗濯を片付けておく、足りないモノがあったらダッシュで買いに行ってくれる。
シロさんが、遅くなってもご飯作りがスムーズに出来るようにサポートしようとしてくれる
とても気持ちのこもった行動。
沁みるあったかさだ。

これよ!欲しいのはこのサポートなの!
寝転んで携帯見たまま「しんどかったら、ラーメンでもええで」ちゃうねん!!
世の中全ての、人にご飯を作ってもらってる人に伝えたい!!!!
シロさん、泣いてたよ。「あぁ、俺幸せなんだ」って。
料理をする人への感謝は、そこに現れる。そこにしかない。

そして毎回、
ケンジはメニューを聞いて小躍りして喜び、「美味しい♪」と本気で言ってくれる。
明日はもっと美味しいモノを作りたくなるじゃないか。
それこそが、家庭料理人をゴキゲンにする、育てる秘訣なのだ。

私も、家族の「ただいま!晩ご飯何?」に
1食5人分1,000円の予算の、どのメニューを答えても「やったー!」と小躍りして、
どんなに大量につくっても足りないくらいの勢いで、完食してくれたからこそ
息をするのも忘れそうな毎日でも、幸せにやってこれたのだ。

シロさんは、今回ケンジのことを何回も「好みじゃない」と心の声で言ってた。
自分をしあわせにしてくれる人は、好みのタイプじゃないし、尽くしてくれる人でもない。
幸せにしたいという気持ちを喜んで受け取ってくれる人、
共に歩もう、サポートしようとしてくれる人なのだ。
そんな人と毎日ご飯を一緒に笑って食べられたら、極上のしあわせなのだ。

どんなに時代の速度がめまぐるしくても、ていねいさは諦めないでいたい。
それは、ご飯作りかもしれないし、洗濯かもしれないし、仕事かもしれない。
全てじゃなくていい。完璧じゃなくていい。かっこよくなくてもいい。
相手のためにと気持ちを込める心を「ていねい」といい、
ちゃんと気がついて受け取ってくれる人がいることを「しあわせ」というんだと感じた。

どんなに忙しくても、彼らの「やったー!」が聞きたくて
ご飯作りにはきっとそのときの私なりにていねいだったんだろうな。
彼らの「うんんまっ!」が聞けたから、毎日どんな嵐でもしあわせだったのだから。

シロさんとケンジのように、二人暮らしになって
ていねいな時間が増えて、生きてるしあわせを実感する毎日も送れている。
だけど。
あっという間に、手抜き出来る流れがそこかしこにある時代だ。
簡素化やオートメーション化したくなる、せっかちなワタシだ。


息をするだけでなく、やらなきゃいけないことをこなすだけでなく
何でもただその瞬間に気持ちを込めることが、ていねいな生き方で
ホントの意味で「生きる」と言うことなんだと思う。

私のていねいな暮らしへの憧れは、
その瞬間瞬間を感じて、想いを込めて生きたいということだったのだ。

さて。今晩の夕食の支度に取りかかるとしよう。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?