見出し画像

「東横線の渋谷駅」が消えて10年

さよなら”カマボコ”

渋谷の街を走っていた東横線が地下に消えてから、3月15日で10年だった。

今は無きこのカマボコ型の屋根の駅舎は、かつて渋谷東口のトレードマークの一つだった。現在は渋谷スクランブルスクエアというしゃれたビルになっているらしい。

”カマボコ”型の屋根が特徴的だった

10年前の渋谷といえば、やっとヒカリエが出来たくらいだった。

私にとって、遠い子供のころの記憶に残っている”東横線”は、この薄汚れたターミナル駅から発車していた。

何なら、その記憶の中の東横線の行先は「桜木町」行きで横浜駅は高架線。いずれも、今はすべて過去になった景色だ。

最後の日

2013年3月15日。
当時、中学3年生だった私はこの駅から出る最後の電車を見届けようと、東横線の渋谷駅に来ていた。
鉄道マニアはもちろん、ただのミーハーっぽい人たちも大勢集まっていた。

最後の日は大混雑

ほかでもない自分自身もミーハーなのはわかっていたが、どうしてもその空間に居合わせたくて、歴史的な瞬間に立ち会いたくて。親に頼み込んでやってきた夜中の渋谷駅でお祭り騒ぎに身を任せていた。

向かい側のビルでお酒を飲んでいた、元気のよさそうな人たちが「東横線さよなら~」と叫んでいる。
まあ、東横線が廃止になるわけではないのだが、そこから電車が見えるのは最後になるわけなので間違いでもないか。

深夜0時44分、最終電車が駅を出発すると、どこからか「ありがとう」という声と拍手が聞こえ、いつの間にか駅全体が拍手に包まれていた。
その後、回送電車も去ってゆき駅としての役目を終えた。

いろんな人の思い出が詰まった場所だったんだなと、その時感じた。

0時半を過ぎていたが、すごい人だかりだった

田園都市線の終電もなくなり、世田谷の自宅までは深夜バスで帰った。渋谷から世田谷なんて2,30分もあれば着くのだが、その夜は、どんな旅よりも大冒険だった。

新たな鉄道ネットワークへ

東横線の渋谷~代官山駅での突貫工事の末、翌日からは東横線と副都心線が繋がった。今では当たり前だが、横浜から新宿三丁目や池袋、それに西武線と東武線まで一本で行けるようになったのである。

今では当たり前の「新宿三丁目行き」。最初は違和感しかなかった

そして10年後の2023年3月18日。今度は、東横線が新横浜を経由して相鉄とつながった。

相鉄は2019年にJRとの直通運転も開始している。個人的には、馴染みのない鉄道会社の一つだった相鉄が、このたび一気に首都圏中の鉄道路線と一本でつながったわけである。

中学生のころの自分が聞いたら、信じられるだろうか。

未来って、わりとあっさり現実になってしまうのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?