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【怪奇小説】オドイト【第2話①】

【前回】第1話④
https://note.com/haizumisan/n/ne2381fb62754?sub_rt=share_b

 私は、洗面器に吐き出したものを見て、なんて醜いんだ、と思うと同時に、それを外に追いやった身体の軽やかさに、充足を覚えた。

 高濃度洗浄液をオドイトにかけて、水道のハンドルを大きく捻ると、溶解したオドイトは冷水とともに排水溝へと消えていった。

 口腔用の洗浄液にミント香料を垂らしてから、口をすすいだ。洗浄液だけだと、薬品っぽい匂いが残ってしまう。

 スチーマーからハンドタオルを取り出して、顔に押し当てると、顔筋が弛緩した。柔らかくなった肌に化粧水を馴染ませ、乳液を被せた。

 口の中にはミントの清涼感が残っていて、肌は薄皮を剥いたように滑らかだ。

 喉の奥からピリピリと微電流のような快感が走る。オドイトを吐く日で、私が一番好きな瞬間だ。

 朝のヨガも、夜のメディテーションも続かなかったけれど、オドイトの排泄は無理なく続けられている。

 オドイトは手に余る感情の排泄だなんて、上の世代の人たちには堅苦しい表現をするけれど、私には、老廃物を絡めとってくれる美容薬だ。

 週に一度、オドイトを吐き出す。ただそれだけで、ストレスを溜めない生活ができる。
 この方法は広く知られていない。まだ市場に出回っていない、治験段階の新薬が必要だからだ。私はそれを独自のルートから入手している。

 私は洗面所の鏡の裏から、ピルケースを取り出して、中のカプセル錠剤をペットボトルのミネラルウォーターで飲み込んだ。一日一錠のオドイト排泄促進剤で、私の精神は健康に保たれる。
 毎朝500mlのミネラルウォーターを飲むこと、これは身体の健康を保つために役立つ。

 薄く化粧をしてパンツスーツに着替えたら、「私らしく」と呟いて、玄関のドアを開けた。

 不快な感情は、精神を老化させる。
 人は駅に向かう商店街で、通勤電車内で、オフィス前の交差点で、細かくストレスを溜める。職場に入れば尚のこと。余計な感情が、蓄積していく。

 他人の挙動や、臭い、声、世界は私を不快にさせる手段に事欠かない。私に向けられるものも、そうでないものも、私が自ら選びとったもの以外はどれも不快だ。

 不快は、奥歯を噛み締めさせ、目尻に皺を作り、髪と肌の艶を損なわせる。不快は、醜い。醜いものを排泄してこそ、私は在りたい私でいられるのだ。

 オドイトは、人間がしがらみを手放すために身に付けた、新たな知恵なのだと思う。

                    続く

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