【怪奇小説】オドイト【第一話②】

【前回】第一話① https://note.com/haizumisan/n/n4e48ddc9d340

 高校で初めてできた彼女から「好きな人ができたから」と別れを切り出されたときも、大体同じよう推移を辿った。
 
 何もかもを失ったように感じて、目の前が真っ暗になった。数日後、僕は洗面器にオドイトを吐き出した。

 僕のことを一番に好きでない人と付き合っても仕方ない。そう考えたら、僕らが付き合っている意味は無かった。

 なるほど、上の世代がオドイトのことを排泄感情と呼ぶ意味を実感した。オドイトを吐き出した後に僕の中からなくなった感情は、これから先に生きていく上で必要の無いものだ。 
 まさに僕は、感情を排泄した心地だった。

 この感覚がオドイトとどのように関係していてもしていなくても、構わない。僕はあれを吐き出して、その先で前向きに生きている。それだけが重要だ。

 僕には今、婚約者がいて、僕は彼女のことをとても大切に思っている。
 人生のどの分岐が違っても彼女と出会うことがなかったと思うと、今までの挫折や失敗も、どうでもよくなるくらいだ。

 彼女は大学の同級生で、語学のクラスで隣になったことをきっかけに話すようになった。音楽の趣味が合って、CDの貸し借りをするうちに親しくなり、やがて付き合い出して、卒業を期に一緒に暮らすことになった。

 月並みな出会いで、ありふれた恋愛だろう。僕にはそれがとても愛おしかった。普通の僕に相応しい、普通の幸せで、僕の人生はこれでOKになるのだ。そう信じて疑わなかった。

 僕は今、リビングの机に置かれた手紙を握り締めて、その文言を一字ずつ、何度も何度も読み返していた。

 これは何かの間違いで、僕がそれを見落としているだけなのだと、それを確かめようと紙面に目を滑らせるけれど、書いてある言葉以外の意味を読み取ることができなかった。
 
 一行目には、こんなことが書いてある。

「あなたと一緒に居ると、辛くなります」
 
 どうして、と過ぎると同時に胃の奥からせり上がってくるものを感じた。僕はぐっと歯を食い縛って、手紙を読み進める。つまりは、僕には気持ちが無いように感じるという趣旨のことが書かれていた。

「あなたにとって大切なものが何なのか、私には分からないのです」

 僕が、彼女以外の何を大切にしていたというのだろう。僕にとっての執着はいつだって彼女だったのに。手のひらに爪が食い込む。
 ただ、頭の隅ではそれが本当には受け入れがたいことではないと感じていた。

 当の彼女がそう言うのだから、仕方ない。僕にはどうにもできないことだ。しばらくは暗い気分になるだろうし、後悔だってするかもしれない。
 実際、僕はこの先何を想って生きたらいいのか分からなくなっている。
 
 手紙を強く握ると、彼女が僕に宛てた最後の言葉は、乾いた音を立てて染みのついた紙片になった。
 
 僕は「ウワーッ」と叫んだ。
 大袈裟にやってみせはしたけれど、嘘というわけじゃない。僕はいつだって自分の気持ちに嘘はついてこなかった。
 
 ただ、それが長続きしないことを、経験から知っているだけだ。

(続く)

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