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【怪奇小説】オドイト【第一話①】

【前回】プロローグhttps://note.com/haizumisan/n/nc91aecc27a09

 僕の人生は、これといって特筆することのないものだった。
 裕福ではないけれど生活に困ることのない環境、概ね良好な家族仲、中堅どころの大学を卒業し、地元の商社に就職した。

 華やかな場所に居たことはないが、悲惨というほどの目に遭ったことも無いと思う。
 挫折や失敗を知らないとは言わない。高校受験の失敗と、大学での失恋はかなり堪えて、どちらも、それなりに引きずった。
 僕が今までにオドイトを吐いたのは、その二回だ。

 上の世代はオドイトのことを、「排泄感情」と呼ぶけれど、実際にオドイトを吐いたときにその感覚も頷けると痛感した。
 どうにもできないこと、だけど、それでは割り切れないこと。そこにある出来事に、感情が付いてきてくれない。あの時の僕はそんな状態だった。感情が昂り過ぎると、泣くことも出来ない。きっと、感情が身体を追い越してしまうのだ。

 高校受験で、模試ではA判定まで出ていた志望校に落ちたとき、舌の根が引っ張られたみたいな心地がして、口の中が乾いて、地団駄を踏みたくなるほどの焦燥に駆られた。

ゲームならリセットしてやり直すことができるのに、不合格という結果は覆らない。事実が一秒毎に現実味を帯びて、頭の中に固着していく感覚に、僕は叫び出しそうになった

 そして、ある日の朝、喉にひっかかりを感じて、オドイトを吐き出した。

 それは洗面所の陶器に、喉風邪をひいたときの痰みたいに、ドロリと落ちた。保健体育の教科書や教則映像でしか見たことのなかったものが、実際に自分の身体から出るのを見るのは、妙な心地だった。

 どこか非現実的で、気恥ずかしかった。気恥ずかしさは居心地の悪さに、居心地の悪さは自己嫌悪になり、僕はそれ以上のことを考えるより先に、アズレン入り洗浄剤で口をすすいで、吐き出したオドイトと一緒に排水溝へと押し流した。
 オドイトを吐き出した直後は、オドイトの表面に付着している粘液の作用によって不快感を覚える。それを洗い流す為には、アズレン入りの洗浄剤と必要になる。
 洗浄剤で何度か口をすすいで、さらに水道水を口に含んで吐き出すと、後には洗浄剤のミント味が僅かに残るのみで、悩んでいたこと段々と他人事のように感じられてきた。

 気分の悪さが収まってから考えると、第一志望の高校に合格出来なかったことをこの世の終わりのように感じていたことが、行きすぎた思考だったと思えてきた。高校で人生の全てが決まるわけじゃない。

(続く)

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