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Numero.2 ダンサーとしての今まで

今日は今までのダンサー人生をまとめてみる!

そもそもダンスを習い始めたのは小学校1年生の時。確か幼馴染と一緒に、母に連れて行かれたのかな。
そこでは人生初めてのステージに立たせてもらったり、お祭りで踊ったり、色々な経験をさせてもらった!!
当時はスマホなんか無かったから、テレビに先生のダンスを撮ったビデオ繋いで、泣きながら練習してた笑

若い!!笑
ただ、結局は練習嫌いすぎて1年で辞めさせられたんですよ。

そっから少しだけダンスから離れて、
再開したのは小学4年生の時。
別の教室に友達が通っていて、それを見てもう一回やりたいって親にお願いした。
まあでも、ダンスをしたかったっていうよりは友達と同じ習い事がしたかっただけなのかな。
ここでも練習しなかったから笑

でも、そんな意識の低かった自分にも転換期がやってきた。
中学1年生の時に今の師匠(以下Kちゃん)のレッスンに初めて行った時、Kちゃんがカッコ良すぎて衝撃を受けた。
これだ!!!!って思った。
2歳しか変わらないんだけど、遥か雲の上にいるような感覚。
当時のKちゃんは鬼コーチで、毎日ゲ◯吐きそうになりながら練習させられた笑
それでもKちゃんみたいになりたい!って必死に食らいついた。

またこの時、もう1人の師匠から「ハイジ」というダンサーネームをもらった。
ダンサーネームを自分が師事している人から貰うって特別なこと。
もう10年以上使ってる大事な名前。
本名で呼ばれるより「ハイジ」って呼ばれる方が多いくらい!!笑

高校1年生の時、Kちゃんの作品で初めてコンテストに出た。
結果は優勝。
めちゃくちゃ嬉しかったし楽しかった。
でもやっぱり楽して取れた結果ではない。
ダンサーには「深夜練」って文化があって、
名前の通り終電〜始発前までスタジオにこもってリハーサルをする。
当時地元の(自称)進学校に通っていたから、土曜日でも朝から授業があった。
金曜日の深夜練に参加して、高速バスの始発で帰って一睡もせずに授業に出る、なんてこともしてた笑笑

高校生の時は本当に多忙だった。
週6でレッスンに行って、
リハーサルに行く電車の中で課題やって、
学校にレッスン道具パンパンに持ってって、
部活もせずに、気づけばダンス中心の生活になっていってた。

それから大学生。
同県内だけど中心部にある大学に進学したから
新しい地でのダンサー生活のスタート!!
最初の1年は色々なイベントに顔を出して、
2年目から先生をさせてもらえるようになった!

先生になってからも本当に数えられないくらいのハプニングがあったけど、それは長くなるから機会があればまた書きます笑笑
大変なこともあるけど先生って仕事はめちゃくちゃ楽しい!!
年齢は幼稚園児〜社会人
国籍も日本、中国、韓国、イギリス
色々な生徒を持ってきて、普通じゃ出来ない経験をさせてもらってる。
ダンスを始めた時はこんな将来想像もしてなかったから、本当に人生何があるか分からない。
まずは何事もやってみないと、自分の可能性を自分で狭める結果になるんだなって考えるようになった。

何事もやってみないと分からない。
実は、今年いっぱいでダンスの先生は引退です。
新しくやってみたいことができたから。
色々な人に惜しんでもらって嬉しいんだけど、
若いうちに色々なことに手を出したいからね!
人生はいつどうなるか分からない。
今は今のことに集中してれば、なるようになってくれると思ってる。
あと3ヶ月半、思いきりダンサー楽しむ!!

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