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セクシャルマイノリティについて。その3

こんにちは。ドメストです。
このシリーズめちゃくちゃ間開けてしまったですね…。

実はこのシリーズを書いている頃、持病の鬱が酷くなっていき、子育てもあり、義母問題もありでわちゃわちゃしていたので心に余裕が無い状態でした。
今しがた落ち着いてきたので書き綴って行こうと思います。

それと、この今回の内容は非常にセンシティブな内容を含めますので、こういう話が好きでは無い方は見るのを控えて頂けると良いかと思います。。
私自身もやっぱりこの内容を書こうとすると躊躇?もやもや?なんかスマホの指の動きが遅くなるのを実感しております。
けれどこの内容を書かなくてはこの私のセクシャルマイノリティの話を終わらすことは出来ないのです。
それでは参りましょう。ひうぃご。

嫌悪のはじまり

私の身体は4歳?3歳?頃から実兄のオモチャでした。
私は夜な夜な兄に性的な悪戯をされていました。
兄は随分歳が離れています。私が4歳頃だと兄はもう中学生だったでしょうか。

とにかく私はされるがままでしたし、それが普通だと思っていました。
思い出したところでどうにかなるわけじゃ無いのですが、私の人生は早い段階から「普通」では無かったのです。

そして知らないおじさんからの痴漢行為や、別の日には知らないおじさんに連れ去られそうになった事も多々あり、そんな幼い自分は、自分でも気付かぬうちに「大人の男性」と「自分がこの身体であるから、こんなことをされるんだ」と嫌悪になり、男の子の格好をするようになったのだと思います。

そんな私も中学生になり、前回書いた身体を触り合うだけの同級生にその話を打ち明けます。
すると彼女は
「普通ではない、普通ではないけど私も一緒に住んでる叔父さんに変な目で見られてる」という話を聞きます。

その頃から大人の男性への強い嫌悪、そして虐げられてたまるかの気持ちが心を覆います。
闇堕ちドメストの爆誕でありました。

大人は狡い

そういった一連の原因が理由で不登校になったのはかなり大きかったです。
誰にも相談できない、親にすら言えない、腕を切って自分の存在の意味を感じとる。
今となっては無意味だと本当に思います。
厨二病を拗らせて貴重な時間は無駄に過ぎていきます。
でも当時の私はまだ未成年で、この爆発しそうな気持ちをどうしたらいいのかわからなかったのです。

ある日、母親と何かのきっかけで口論になり、私を捲し立てて来たので兄の一件をポロリと口にしてしまいました。
その結果、私は更に闇に堕ちる事になったのでした。


母から出て来た言葉は
「きったない兄妹…」



この時少しでも期待していたのかもしれません。
母に言えば、兄に怒ってくれる、もう兄からの悪戯は無くなる、母は私に「大変だったね、辛かったね」と言ってくれるのでは無いか。
そんな気持ちを抱いていたのかもしれなかったですが、結果は私の思いに反してかなり残酷かつ、私の心を切り裂いたのでした。

続く

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