コロナ禍よりもっとつらかったこと
考えるより「行動」しよう
時間を積み重ねて構築した仕事や経験が
見えないウイルスに奪われていくコロナ禍。
とってもつらいけど、しんどいけど、
それよりつらいことがあったから「大丈夫」と思える。
2月に入ってから次々と仕事が中止や延期になっていく。
最初は都度、肩を落として凹んでいたけど、
いいのか、悪いのか、もう麻痺してしまって何も感じない。
考えても変わらないことは、考えないと決めている。
特に今回は考えたって、どうしようもない。
私ごときが考えてワクチンでもできれば、いくらでも考えるけど
何したって「見えない未知の敵」なんだしさ。
考えいてる時間があったら、これからのデジタル時代に対応するための勉強をして、
いっぱい知識を溜め込んだほうがよっぽど建設的だ。
考えるより、「行動」である。
色んなことがある、いや、ありすぎるコロナ禍は確かにしんどい。
見なくていいものを見ることも多いし、カラダより心が疲弊する。
父の死のほうがコロナ禍よりしんどかった
でもいつも思うのは、コロナ禍よりも父が急逝した時のほうが比較にならないくらいつらかった。
あの時、生きる気力を失い、父の元に行くことすら考えたけど今こうして、そこそこの幸せを抱えて生きている。
あれだけつらかったことを乗り越えてきたのだから、今回も「何とかなる」と動揺せずに、構えていられる。
決して潤沢なお金があるワケでもないし、収入だって激減しているけど、健康なカラダと強靭なメンタルがあるので「何とかなる」と。
そしてまた生きてさえいれば「何とかなる」と。
大切な人の死を経験し、乗り越えると、
こんなにも強くなれるんだと、最近つくづく思う。
支えてくれるオットや、家族がいるというのも大きいのだけれど。
父が荼毘にふされた際、「死んだらもうおしまいなんだな」とあたりまえのことを思った。
あの世に行くのにお金は必要ない。
紙でできた六文銭のみ。
身につける服もお気に入りのゴルフウエア一式だけ。
棺には先にお星さまになったネコの写真と花をいっぱい入れた。
それ以外はホントに、ホントに何にも持っていかれない。
広い葬儀場でそれを悟った時、精いっぱい生きることを父に誓った。
大変なことはたくさんあるけれど、生きていれば何とかなる。
数年後、「あんな時代もあったね」と一笑するためにも今を生きよう。
◇◇◇◇◇
リモート飲みが日常になりましたなぁ。でもやっぱりお店で飲みたい。
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