泣きたくても、泣けなかった


悲しみが強すぎると泣けない


あまりに悲しいと涙が出ない。

それを知ったのは16年前、父が急逝した時だった。

父が亡くなった病院では泣いた。
狂ったように泣いた。
医師を責めながら。
今になって思うと、医療ミスだったと思う。

だがその後、どんどん涙が乾いていった。
葬儀の時には心が完全に麻痺していた。
悲しむよりも、長女として父の葬儀を立派に終わらせ、悲しみに暮れている母を支えなくてはいけない。
そう思えば思うほど、心も感情も次第に何も感じなくなっていった。

本当は泣きたかった。

最愛の父、私にとってはたった一人の味方だった父。
そんな大切な人がこの世から消えてしまった。
もう二度と自分の名前を呼んでもらえない。
目を細めながら頭をなでてくれる父が目の前から消えてしまった。
それなのに、涙が出ないなんて。

泣くよりも先に葬儀に来た方々の名前をチェックしたり、お香典の計算や葬儀社に支払うお金をまとめなくてはならなかった。
お墓の用意も流されるように決め、気づけば一度も行ったことがないお寺の檀家になっていた。

立て込んでいた仕事も次から次へとこなさなくてはならなかった。
待ってはくれない締切、働かないアタマ。
でもどうにか原稿を仕上げて、マシンのように原稿を書いて編集者に送った。

周囲の人は「冷たい娘」と思っただろう。
父親が死んだのに涙も見せずに、と。
でも涙が出なかった。
涙腺がおかしくなっているんじゃないかと思うほど。
気づいたら5キロも体重が減っていた。

泣くことをガマンすると、心が鈍化する


私がやっと泣けたのは、新盆を終え、自宅に戻った時のこと。
吸えもしないたばこを、愛煙家の父のためにふかしてみた。
たばこの煙と一緒に、特有の香りが鼻に抜けた瞬間、
涙がつーっと頬をつたった。
何の予兆もなしに。

父を彷彿とさせるたばこの香りが、脳を刺激したのかもしれない。
そこからは目の前の景色が見えなくなるほど、涙が出続けた。
搾りだすような声で、「お父さん」と叫んだ。
麻痺していた感情にスイッチが入り、一気に全身に血が流れたような気がした。

これを機に悲しみの感情を受け入れることができた。
父の死を受け入れることはできなかったけれど。

カラダが薬を飲んで症状を無理に抑えると、本来ある「悪いところを治そう」という機能が低下するよう、心もまた涙をガマンすると感情が鈍化してしまう。
そして、しなくてもいいガマンをするようになる。

悲しみの耐性を強くしなくたっていい。
誰かを守ろうとするあまり、自分の感情を後回しにする必要はないのだから。
泣きたいときは、うんと泣いたらいい。

そんな私は朝ドラを見ながら年中泣いている。

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