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俳句夜話(11)虚子はいたずら好きのマーケター?
今更ながらに、虚子の名著と言われる「俳句の作りよう」「俳句とはどんなものか」「俳句はかく解しかく味う」なんぞを読んでるわけですが、彼が俳句はこうだと言ってる最大の要所は、まじめに詠め、ですね。思いっ切り、俳句さながらに約めると、たぶんそんなところになるかと。
子規の言っていた、五七五定型第一、季題第二、切れ第三、この三つを守らないものは俳句ではない、洒落や諧謔はやめて写生に徹するべきである、といった約束事をそのまま受け継いだかっこうで、この師弟には芭蕉か蕪村かの(私から見ると決定的な)差異がありますが、滑稽や挨拶といった俳諧連歌の全否定から始めているところはまったく同じです。わびさび、もののあはれが上、滑稽は下、そう言ってると思って差し支えないと思います。
山本健吉は、滑稽を捨ててどうするとはっきりと言っており、さらに即興に関してもとても興味深いことを論じています。これはそのうち紹介します。
そんな虚子がです、句作に関してはとにかくいろんなことをやる。これでもか、というほど試し、遊ぶ。新しいからといってそれがそのまま素晴らしいともいえない、と伝統を重んじておきながら、自分は好きなだけ可能性を試す。以前、よほど器用だったのだろうと私は言いましたが、ほどを超えてます。
しぐれんとして日晴れ庭に鵙来鳴く
怒涛岩を噛む我を神かと朧の夜
凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり
20音をゆうに超えてます。実験してみたのか、碧梧桐へのあてつけなのか、真意を測りかねる妙な俳句です。名手虚子とは思えない。
しかし、この字足らずから入る一句には参りました。かの一茶も思いつかなった。
と言ひて鼻かむ僧の夜寒かな
これ、どう見たって滑稽ですよ。今までにないんじゃん?新しいんじゃん?と、確信したのでしょう。子規が生きていたら、さぞかし憤慨したことでしょうけど、私はものすごいと思う。一茶の「おんひらひら」もすごいけど、字足らずの上五はよほどの自信がないと詠めない。
おんひらひら蝶も金毘羅詣りかな
俳句論や評釈のくっそ真面目なありようと、句作がこうまで離れている俳人は虚子をおいてないと思います。たいがい人は、作りようと似たようなことを評論するものです。
私は、芭蕉、蕪村、一茶の次に来るのは子規ではなく虚子だとおもっており、さらに、この4人と同列に並べられる俳人は明治以降、現在までに一人もいない、と思うほどに虚子を評価し、愛するものですが、頭と手の乖離具合がどうにも合点がいかない。史上空前の部数を誇った同人誌「ホトトギス」の経営者だった影響もあるように思いますが、そんな虚子の分裂的な側面をつらつらと考えていたら、こんな句に当たりました。
虚子ぎらひかな女嫌ひのひとへ帯
「ホトトギス」を虚子によって除名された杉田久女の句。かな女とは長谷川かな女。虚子傘下の婦人句会のリーダー。
子規の人柄がいいとはいろいろに伝わっていますが、虚子のそれは立場が大きく高位置だったためか、あまり言う人が多くないように思える。
おそらく、虚子はものすごくいやなジジイだったにちがいない。一茶も同じようにいやなジジイだったかもしれないけれども、虚子は他のすべての俳人の追随をまったく許さないほどの栄達を遂げておいた上でのいやな奴ですからね、格がちがう。それで詠むとなったら、自由にして自在。
芭蕉のような漂泊ができないなら、いやなジジイになろうとも虚子のような成功をしたいと思う今日この頃。
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