続・未だ聴こえない音楽の制作日誌-16- 表現のトレーニング
表現のためのトレーニング。
この自宅にいる長い日々で、始めたことがいくつかある。筋トレとか、姿勢矯正とか、英会話とか、色々。気付けば割と年齢を重ねてしまったし、中途半端にしていたものをちゃんと勉強し直したり、衰えないように鍛えていきたい。
同じように、表現することにもトレーニングが必要であると感じる日々である。
曖昧で抽象的なことにも、トレーニングが必要なのだ。
これは創作のみならず、いま2週間後に迫ったアルバム発売日に向けての宣伝を考える日々の中で、宣伝文句や、インタビューでの受け答えを繰り返すうちに自分から発せられる言動などにも共通して言えることであった。
作品だけでなく、それに付随するもの含めてプロダクト全体を表現と捉えて作り上げていく必要がある。
創作、発言、その他全ての表現はアウトプットであるから、そのためにインプットをたくさん得る。日々がその繰り返しである。よく食べ、よく寝て、よく排泄する。これが良き表現につながると思う。
しかし、この日々を単に送っているだけでは、全ての手法はやがて使い古され、衰えていってしまう。
インプットの仕方、アウトプットの仕方も日々試行錯誤をして改善、改良、トレーニングしていく必要があると、この歳になって感じ始めたのである。
例えば、インプットの仕方に関して言えば、これまでは何か新しい刺激を求めてやたら滅多に見たり聴いたりしていたが、逆に1日のうちにあまり刺激を入れないようにしている。もし映画を1本見たら、そのあとはたっぷり時間をとって、その映画について自分が感じたことを考える。インターネットは見ない。誰かの感想が既にたくさん書いてあって、言葉にならない第一印象が誰かの言葉で形になってしまうからだ。自分の中から出てきた言葉で感想が形作られるまでゆっくり考えてみる。
そうなるとその日に見る何か、聴く何かをそれまでよりは慎重に選ぶようになる。実はずっと気になっていたものや、それまで全く知らない新しいもの、自分に必要そうなものに目がいくようになる。何となくで選ばないことが大事だ。もしそこで見たものがダメだったとしても、何がダメだったか考えることになる。
この精度を上げていくことが、インプットのトレーニング。
インプットのトレーニングはこうした方法でなくとも、思い思いの方法で実践しているような人も割と多い気がする。問題は逆である。
アウトプットのトレーニング方法が難しく、日々音楽を作ったり、何かを創作するだけではダメになってきていて、何かないかと模索してたが、とある映画と一つの本の存在の影響により、実践してみようと思えることが見つかった。
映画「SOUND OF METAL」と本「ずっとやりたいかったことをやりなさい (原題:The Artist's Way)」の2つ。これらの中に毎朝、思ったことをノートに書いていくという手法が出てくる。
これに倣い毎朝、A4ノート3ページ、頭に浮かんだことを書いていく作業をしている。
どうやら紙に何かを書いていくというのは自分の性に合うらしく、長く続けられている。A4ノート3ページを文字で埋めるには、どんなに調子良くとも1時間半くらいはかかるので、毎朝一時間は自分の表現について深く掘り下げることができて、日々少しづつ何かしらのアイデアが湧いたり、逆にアイデアを冷静に判断したりして、書き終えて考えることに疲れた後はより感覚的に物事を捉えられているような時もある。
紙に書くと言えば、時にはマンダラートを実践してみることもある。
こうしたことを日々実践し、自分のプロダクト全体の精度を上げていくことが、いま私にとっては必要なことである。昔のように「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」と乱発していくようなことも出来なくなってきて、どちらかと言えば一撃必殺の狙撃のようなスタイルを取るしかなくなってくると、より自分の感覚を磨く必要が出てくる。より冷静に、精度高く狙いを定められるようにならなければならない。
表現をすることにもトレーニングは必要なのだと実感する日々である。
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