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山田尚子における『主題の不在』 ~「けいおん!」から「モダン・ラブ・東京~さまざまな愛の形~」そして「きみの色」まで

今回はアニメーション監督である
山田尚子の作品について書いていきたいと思う。


私はアニメーションを観るのが好きで
「好きなアニメ監督は?」と尋ねられたら
今 敏 と 山田尚子 の名前を挙げる。


山田尚子監督は現在、最も将来を期待されている
アニメーション監督のひとりだ。
受賞歴も多く、「たまこラブストーリー」では
第18回アニメーション部門 新人賞 を受賞し
「映画 聲の形」では第26回日本映画批評家大賞を
「リズと青い鳥」では第73回大藤信郎賞をそれぞれ受賞している。


そんな山田尚子監督の最新作「きみの色」が8月30日に公開される。
本作品をもって通算10作目の作品となる。
しかし、これほど作品を作り続けている監督にもかかわらず
山田尚子作品の解説・解釈にフォーカスを当てた書籍・資料は少ない。


なぜこれほどの作品を作りながら
山田尚子作品に関する資料が少ないのか。
私はその理由に、山田尚子作品には「主題がない」からだと考える。


宮崎駿、高畑勲、押井守、片渕須直、新海誠等の監督などには
彼らなりの主題を作品から読み取ることができる。
しかし、山田尚子の作品を見返してみると
現時点で彼女なりの主題はないのではないか、疑問が湧く。


そして最新作「きみの色」は
山田尚子が初めて自分なりの「主題」を
手繰り寄せようとしている作品になるかもしれない。


そう思ったきっかけは、現時点での山田尚子の最新作
「モダンラブ・東京~さまざまな愛の形~」を鑑賞したからだ。
この作品は、アニメ「平家物語」の後に作られた作品で
京都アニメーションもサイエンスSARUも
これまで山田尚子作品の脚本を担当していた、吉田玲子も関係していない。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0B6T4S4N9/ref=atv_hm_wat_c_0sLMfd_1_7


その状態で山田尚子は本作品で何を描いたか。
それは恐らく、山田尚子自身が自分の個人史と向き合った作品
なのではないか、と思われる。


京都アニメーションという
ある種の「箱庭」から出た山田尚子が
「平家物語」という作品を経て
次の作品を作る時、自分の中にしか主題はないのではないか
と思い至ったのではないか。


とすると、最新作「きみの色」では
山田尚子の個人史をベースとした作品世界が展開され
そこに山田尚子の「主題」が宿るのではないか
というのが、私の勝手な予想だ。


そこで、最新作「きみの色」にいたるまでの山田尚子作品を
改めて振り返ってみたいと思った。
理由の一つは前述したように、山田尚子に関する参考資料が少なすぎるため
自分で作品を鑑賞して思考する必要があると感じたからだ。


もう一つは、京都アニメーションが制作し続けてきた
「日常系アニメ」との比較で山田尚子作品を考えてみたい、という理由だ。


なぜなら、京都アニメーションが制作し続ける
主に学校を舞台にした「日常系アニメ」と
山田尚子が志向する学校を舞台にしたアニメでは
微妙に、だが決定的なズレが生じている。というのが私の仮説だ。


京都アニメーションの作る「日常系アニメ」においては
キャラクターは変化はするが成長はしない
「いま、この瞬間」を大事に生きるという
いわば予定調和的な出来事しか起きない
「箱庭モデル」のような作品を志向して来たように思われる。
山田尚子作品の初期にあたる「けいおん!」シリーズがそれにあたる。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00FYKR1RG/ref=atv_hm_wat_1_c_0sLMfd_1_16

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00FYKQYRE/ref=atv_hm_wat_1_c_0sLMfd_1_15

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00JDZCQ14/ref=atv_hm_wat_1_c_0sLMfd_1_14


対して、山田尚子作品のキャラクターは
その「箱庭モデル」としての学園から出ていくことを志向していく。


京都アニメーションの日常系アニメを「箱庭モデル」と仮称するなら
山田尚子の作品は、箱庭から出ていく「鳥かごモデル」を提示しているように思えるのだ。


この2つのモデルがわかりやすく提示されているのが
「たまこまーけっと」と「たまこラブストーリー」の2作だ。
どちらも山田尚子監督作品だが、両作品のストーリー展開はまるで違う。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00FYK4I0Y/ref=atv_hm_wat_1_c_0sLMfd_1_17

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00R70JK98/ref=atv_hm_wat_1_c_0sLMfd_1_11


「たまこまーけっと」は
うさぎ山商店街の餅屋の娘・北白川たまこを中心に
高校生活と商店街での日常を描くハートウォーミングな物語だ。
そこではうさぎ山商店街を、古き良きコミュニティとして描き、
登場人物や世界の緩やかな変化は描くが成長はしない「箱庭」が描かれる。
学校に象徴されていた「箱庭」を商店街に移行した作品だと言える。


対して「たまこラブストーリー」は、主人公の北白川たまこにとって
「箱庭」として描かれていた商店街に
「恋愛」が介入することによって「箱庭」からたまこが出る話だ。


登場人物のひとりである大路もち蔵が
主人公の北白川たまこに告白することによって
箱庭としての商店街に恋愛が介入する。


この作品での恋愛とは、登場人物間の関係性が
告白前にの常態にはもう決定的に戻れないほど変化するものだ。


ラストシーンはもち蔵の告白に答えるため、たまこは商店街を出て
東京の大学の見学に行くために
新幹線に乗ろうとするもち蔵と、京都駅で対面する。
そして「もち蔵、大好き」というセリフで本作品は締めくくられる。
ここにはもう箱庭としての商店街のイメージは消失し
たまこが、商店街の外部の世界へ志向する姿勢が見て取れる。
「いま、この瞬間」がこれからも続いていく予感を漂わせた
TVシリーズの「たまこまーけっと」とは対象的なラストだ。


「箱庭モデル」を描くのではなく
箱庭の外部に出る「鳥かごモデル」を描く。
この姿勢は、「たまこラブストーリー」以降
山田尚子が志向し続けてきた姿勢ではないだろうか。


「たまこラブストーリー」の次作である「映画 聲の形」のラストにおいては
主人公の石田将也が自分の人生ともう一度向き合い
自分以外の他者と関わり合いながら生きることを決心して
目を開き、耳を塞いでいた手を話して外部と向き合う。


しかしここでの外部は、文化祭の場面での学校の生徒達になっている。
自分以外の外部と向き合うことを描いたが
その外部は学校という、京都アニメーションが描いてきた
「箱庭」に着地する、という少し奇妙なラストとなっている。
ここにも私は、京都アニメーションが志向してきた「箱庭」のような
学園アニメと、山田尚子監督が志向した学園アニメにズレが生じた結果、
うまれてしまったラストのように思える。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0D4RQ2FWW/ref=atv_hm_wat_1_c_0sLMfd_1_9



そして山田尚子が京都アニメーションと袂を分かつ作品となったのが
「リズと青い鳥」だろう。
本作品では、学校が時間性が存在しない完全な「箱庭」として描かれ
ストーリーの殆どは学校内で展開される。
劇中では壁掛け時計が描かれるシーンがいくつかあるが
そのどれにも文字盤が描かれていない。
これは本作品の学校が象徴的な「箱庭」であることの隠喩だろう。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0C5MD7NJW/ref=atv_hm_wat_1_c_0sLMfd_1_13


本作品の主人公の鎧塚みぞれは、映画冒頭ではすでに学校内にいて
ラストシーンではじめて学校という「箱庭」から出るのだ。
作中では鎧塚みぞれの親友として傘木希美が登場し
彼女と鎧塚みぞれの交流が作中の骨子となっている。


そして劇中で登場する「リズと青い鳥」という絵本には
「鳥」を「閉じ込める」というみぞれの台詞が
あるように、箱庭という「鳥かご」から出る構図になっている。


やや飛躍しすぎな仮説になってしまうが
鎧塚みぞれは山田尚子の分身のような存在と捉えてもいいだろう。
鎧塚みぞれが依存している傘木希美は京都アニメーションそのものであり
二人の進路は、みぞれは音大であり、希美は一般大学と
別々の道を行く。


このクライマックスのシーンには、山田尚子が
今まで主題を借りてきた京都アニメーションから離れて
自分自身の作品を制作していく。
そのようなメタメッセージが込められているようにも見えるのだ。


そして「リズと青い鳥」は
山田尚子が京都アニメーションで制作した最後の長編作品となり
その後はサイエンスSARUへ移籍し、「平家物語」を制作することになる。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0B64JKXCH/ref=atv_hm_wat_1_c_0sLMfd_1_12


「平家物語」本編については
平家の盛衰をダイジェスト的にまとめているだけで
これまでの山田尚子作品のなかでも、もっとも淡白な印象だった
というのが個人的な感想だ。
しかし、ここでは感想ではなく
「平家物語」の中で描かれた構造について注目していく。


主人公は未来を見通せる目を持った少女・びわが
平家の隆盛と滅亡を滔々と眺めていく構造となっている。
本作品のびわとは映画監督である山田尚子であり
平家とは京都アニメーションである。
未来を見通せる目を持つということは
作品の終わりが最後までわかっている=監督であるという意味と同義だ。


びわが眺めるのは
自身がかつて住んでいた京都アニメーションを隠喩する平家の人々だ。
本作品での平家物語では、平家の盛衰がダイジェストとしてしか描かれず、登場人物の細かい心情描写などに踏み込んだ描写はない。
これは、京都アニメーションがいわばテンプレート的に
学校や商店街などに象徴される「箱庭」舞台にして描いてきた
「日常系アニメ」そのものの限界を示しているのではないか。


「日常系アニメ」を繰り返す平家=京都アニメーションは
やがて滅亡へと向かい
びわ=山田尚子はそれを止めることが出きず、俯瞰することしか出来ない。
「平家物語」にはこのようなメタ的な厭世観のある作品だった。



そのような作品を制作した後、現時点で山田尚子の最新作となるのが
「モダンラブ・東京~さまざまな愛の形~」のエピソード7だ。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0B6T4S4N9/ref=atv_hm_wat_1_c_0sLMfd_1_7


「モダンラブ・東京~さまざまな愛の形~」は
Amazonプライムオリジナルのオムニバス形式のドラマだ。
「東京に住む人々の恋愛」をテーマに全7エピソードが独立して存在し
エピソード7は山田尚子が監督している。


恐らく、この作品が山田尚子作品を語るうえで
極めて重要な作品になるだろう。
その理由は前述した通り
本作品は山田尚子自身の個人史に向き合った作品と思えるからだ。


物語のあらすじは、30代の女性だ。仕事ではミスが多く
それに加えて「得体のしれない正体不明の不安」に駆られており、
毎日酒に溺れる日々だ。
そんななか、行きつけのバーで流れた曲を聞いたことがきっかけで
自身の高校時代を回想する、という形式をとっている。
この高校時代の回想が本編の大部分である。


つまり、東京に住む人々の恋愛、というドラマ全体のテーマは
本作品ではかなり後退していて
ほとんど山田尚子の私小説とうけとれるような
ストーリーが展開される。


そして高校時代の主人公は、「絵が好きでよく書いていたこと」
「学校の空気、特に文化祭の雰囲気に馴染めなかったこと」
「マニアックな音楽を聴いていたこと」が明かされる。
上記の要素は、山田尚子自身の趣味嗜好とほぼ一致する。


このように、本作品では、山田尚子自身
あるいは山田尚子からみた京都アニメーションについての
メタ的な発言が多く含まれているように感じられる。


例えば冒頭で、主人公が仕事のミスで叱責を受けているセリフの
「これで何度目?」というセリフ。
その後の高校時代を回想する、という
「学校を舞台にした話」が展開されることを踏まえると
日常系アニメ、学校を舞台としたアニメを作り続けてきた
山田尚子自身へのメタ的な自虐ともとれる。


その後、高校時代を回想する際のモノローグで
「文化祭、三年間とも楽しめなかったなあ、後夜祭も行ったことないし」
というセリフが登場する。


これは、京都アニメーションが志向する作品の性質に馴染めなかったことを
暗に示唆しているのではないか。


これらのことを踏まえると、京都アニメーションから離れた山田尚子が
「平家物語」で現在の自分と京都アニメーションの立ち位置を確認した後
次に作る作品のベースとなるのは自分の人生、個人史に向き合うしかなかったのではないか。


それは京都アニメーション・サイエンスSARU
脚本家の吉田玲子から離れることで初めて可能となったことではないか。


以上のことを踏まえると、山田尚子作品の変遷としては

  • 「けいおん!」シリーズは、京都アニメーションが培ってきた「日常系アニメ」からテーマを拝借している

  • 「たまこまーけっと」から「たまこラブストーリー」にかけて、山田尚子の志向と京都アニメーションのアニメの志向にズレが生じる

  • 「映画 聲の形」では外部を志向しながらも、その外部は学園内の生徒=他者という「日常系アニメ」の箱庭の中に着地する

  • 「リズと青い鳥」で京都アニメーションという「箱庭」から出る

  • 「平家物語」で、現在の山田尚子の立ち位置と京都アニメーションとの関係性を俯瞰する

  • 「モダンラブ・東京~さまざまな愛の形~」で、山田尚子自身の個人史と向き合う

といったところだろうか。


この「モダンラブ・東京~さまざまな愛の形~」のエピソード7
を経てからの最新作の「きみの色」は
山田尚子が個人史と向き合って
初めて自分の主題らしきものを掴み取ろうとする作品になるのではないか。
そんな期待を感じずにはいられない。



その意味で「きみの色」は山田尚子自身のオリジナル作品第一作目
という立ち位置になるかもしれない。





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