月面マラソン

中秋の名月。
満月の夜。
不思議な夢をみた。

月面で、マラソンしている夢だ。
真っ黒で、星がたくさん浮かんでいる空。
眩しいほどに輝いている、月面。
アポロ月着陸船のクルーが月面で撮ってきた写真や、多くのSF映画でお馴染みの、あの光景そのままだ。

そこで、ひたすら走っている。
当然「宇宙服」などという、野暮ったい物は着ていない。
空気は無いはずだから、風は吹かない。
風を切って走る、感触もない。
音もない。

でも、呼吸はできる。
いや、多分呼吸していない。
でも、問題ない。
走れる。
そして、とても気持ちがいい。
澄み切った、冬の夜空のような清々しさ。
それが、空気が無いのに、感じられるのだ。

周囲は、殺風景な白い砂漠ばかりではない。
あちらこちらに、程よい大きさの建造物がある。
そこには人も居るのだろう。
でも、基本的に中層、高層の建築物が無いから、見晴らしがきく。

周囲360度。
どちらを向いても、地平線や遠くの山々が、
そしてまばゆいばかりの星々が見える。
もちろん、白く輝く太陽も。

不思議と、地球が見えない。
新月ならぬ「新地球」になって、よく見えないのか、
自分が月の裏側にいるのか、
あるいは、
もしかしたら地球はもう無いのか。

とにかく、そんなことは気にならなかった。
月面マラソンが、あまりにも快適だったからだ。

体が軽い。
いくらでも走れる。
月の重力は地球の6分の1だから?
いや、そうじゃない。
それだったら、重力加速度も6分の1になって、あのアポロ宇宙飛行士のような動きになるはず。
全てが、スローモーションになるはずだが、ならない。
普通に地上で走っているのと同じリズム。
でも、体が軽い。
そう。
まるで、小学生の子供に戻ったような感覚だ。

いくらでも走れる。
もっと先へ、もっと先へ。

マラソンだから、何人か一緒に走っている。
でも、みんな少し後ろにいる。
振り返ると、地球のマラソンと同じ。
みんな苦しそうに顔を歪めて走っている。
え? なんで?
自分は、全然疲れないんだけど。
もっと速く走れるけど。
だったら、もっとスピードを上げてみよう。

ぜんぜん、しんどくない。
いくらでも進める。
そしてとにかく、気持ちがいい。

後ろの集団がみるみるうちに見えなくなった。

独走だ。

ほとんどが大平原だが、ときどき坂があったり、建物の中を通り抜けたりする。

ある建物に入ると、そこは、かつて働いていた学校だった。
学生たちが、文化祭の準備をしている。
みんな、こちらに背を向けて一生懸命何か作っているので、顔は見えない。
でも、もう雰囲気でわかる。
あの懐かしい顔ぶれに違いない。
見なくても、わかる。

ひとり、ボランティアのお姉さんが一緒になって動いていた。
私にとって知り過ぎた顔。
彼女だけは、私に気づいてくれた。
気付いて、何か声をかけてくれたのだが、私はマラソンの途中。
そのまま、走り続けなければならない。

建物の外に出る。
また、凛とした空気の中を走る。
「空気」といっても、物理的な「空気」ではなく、「雰囲気」の方だ。
もちろん。

次の建物に近づいたとき、先頭集団と思われる連中が、建物の簡易テーブルの前で、何か手続きみたいなことをしてるのが見えた。
近づくと、みんな首からカードのようなものをぶら下げていて、それにチェックを入れてもらっている。

しまった!
このマラソン、いくつか関門があって、そこでチェックを入れてもらわないといけなかったのか!
全然、知らなかった!
私が幼いころからよくやってきたミスである。

団体行動が嫌いで、何でもひとりでやろうとする。
他人と違うことをやろうとする。
他人と違う道を行こうとする。
他人と一緒に居ても、ひとりだけ全然違うことを考えている。

一番古い記憶は、幼稚園の運動会。
20メートルほど先の地面に、籠がふたつ、並べて置いてある。
片方の籠にはボールが沢山入っている。
もうひとつの籠は空。
よーいドン!で、そこまで走って行き、しゃがんで、ボールをひとつひとつつかみ、空の籠の方に全部移し替えたら、また走って帰ってくる。
この速さを競う。
それだけのルールだ。
ということは、後で知った。

最初、自分の前の何人かが順番に走っていくのを、ただぼーっと見ていた。
走って行った奴が籠の前にしゃがむと、当然背中しか見えない。
何かの作業をしているらしいのだが、手元が見えない。
どうやら玉を持って、せっせと動いている。
なんか、とてつもなく滑稽だな。
なんとマヌケな光景。
そんなことばかり考えていて、やがて自分もやらされるという思考が、全く抜けていた。
だから、自分の番になって、困った。
何をしたらいいのか、皆目見当もつかない。

籠のところまで走った。
ここで、何かの作業をして、帰ればいいのだな?
玉を持ち上げて何かしてたよな?
よし。
とりあえず、玉を2,3個持ち上げて、なぜか頭の片隅に残っていたお焼香の記憶を頼りに、拝んで適当にもうひとつの籠の中に落とした。
さっきまで、マヌケな動きと思って傍観していた作業を、今自分がやっていると思うと、とても恥ずかしくなってきた。
もうこれでいいだろう。充分だ。
復路、走り出したら、すかさず先生に呼び止められた。

「〇〇君、まだボールが残っていますよ。」
伊藤先生はニコニコしながら教えてくれた。
あ、そういうことか!
満杯の籠から、空の籠に全部移すのか。
なーんだ、だったら話は簡単♪
おぼつかない足で、重い籠を持ち上げ、斜めにして一気に移し替えようとすると、
「〇〇君!籠を持ち上げてはいけませんよ。手でひとつずつ、ボールを運んでね!」
いつもは温厚な伊藤先生のニコニコが、ちょっと引きつっていたような気がする。
えーい、面倒くさいな!
なんで、こんな恥ずかしい、アホらしい、非生産的な作業をせねばならぬのだ!

夢の中で、しばし現実の幼稚園時代の苦い思い出がよみがえった。
(なかなか器用だと、自分でも思う。)

ふと我に返ると、先頭集団は既に掃け、
簡易テーブルの前はもう誰もいなかった。
係員にカードを見せる。
「はい。最終チェックですね。」
「え? 最終って?」
「ここがゴールですよ。お疲れ様でした。」

てっきり、ゴールにはテープが張ってあって、それを胸で切って爽快にゴールインするのかと思っていたら。。
あ、そか。
それって、上位入賞者だけか。

「いや、あの、じつは。。。第1関門とか、第2関門とかで、チェックしてもらうのを忘れたのですが、どうすればいいんでしょう? あなたは、ゴールの係の人ですよね? 第1、第2関門の係の人、いませんか?」

「私が、その係ですよ。ちょっと待ってくださいね。」
係員の女性が、私のカードを持って、奥へ入っていってしまった。

その間に、遥か後ろにいたはずの第2集団が、ドヤドヤと入ってきた。
みんな、手際よく最終チェックを受けて、向こうに行ってしまう。

くそっ!
幼稚園のときと同じだ。
本当は、速かったのに。
つまらないミスで、また他人に負けてしまった。
あんなに快適に、あんなに速く走れたのに。
まだまだ余裕があったから、
もっと本気になれば、
もっと走れたのに。
そうしたら、先頭集団も一気に追い抜いて、
トップになれたのに。
栄光を手に入れることが、できたかもしれないのに。
いつもこうだ。
どうして私は、こうなのだ!

それにしても、係員の人、いつまで待たせるのだろう?
もう、みんな建物の向こうに、行ってしまった。

私だけ、どうして、こんなところで足止めを食らっているのだ。。。


目が覚めた。
なんだか、体が軽い。
こんな感覚は久しぶりだ。
まるで、小学生の子供に戻ったようだ。
まだ、夢の続きみたいだ。

でも、ここは地上。
黄色い太陽が出ている。
まぶしい朝陽がさしている。

不思議な、夢だった。

太陽は生命の象徴、月は死の象徴とも言う。

もしかしたら。

自分は、あちらに行きかけていたのだろうか?

ただひたすら、前に向かって走り続けるマラソン。
月面の砂漠は孤独な時間。
平原は、平穏なとき。
途中、何度か通り抜けた建物は、人生の中の特に印象深かったイベント。
走って、走って、
やっとゴールに着いたと思ったら、自分だけ通してもらえない。
待たされている。

「貴方には、まだやっていないことがありますよ。
やらなければならないことが、たくさん残っていますよ。
まだこっちに来る時じゃ、ないですよ。」

満月が、そう伝えてくれたのかもしれない。

それにしても、体が軽い。
生まれ変わったような感じだ。
空も、太陽も、部屋も、
昨日までと寸分違わぬ世界。
でも、自分だけが、何か変わったような気がする。

まさかまだ、夢の中なのだろうか。
それとも。。

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