偏質的俳句鑑賞-第八回 とつぷり暮れたつぷりけんちん汁盛らる-村越化石『生きねばや 評伝 村越化石』
ワンチャン孫引きみたいな感じになるかもしれないが、結局出典が分からなかったため、載っていた評伝の方を書いておく。評伝なかなか興味深かった。
それにしても村越化石という人はこういう言い方はその人の置かれた状況を上から見るようで間違っているかもしれないが、劇的な人である。
ハンセン病に罹患したということが化石の環境を変えてしまったか。それは「暮れる」まで実家、故郷に帰ることも許されず、後年は両目を失明したこと。その全てを俳句によって昇華したということ。
化石には力強い句にも良句が多いが、こういう素朴ながらも作者の背景を考えると更に深い感慨が滲み出してくる句こそ読みたい。
「とつぷり」と「たつぷり」
この二つの語の擬音的な働きによってこの句にリズムが生まれる。明らかに狙っているが嫌らしさがない。作為的でない。
別にフカヒレスープとかみたいに高いものではないけれども、化石自身の人生を託した「けんちん汁」にささやかな感慨が感じられる。
エンドロール直前に出てくるやつじゃん。
村越化石の映画あってこれが出てきたら泣く人出てくると思う。
それだけです。次回も良ければ読んでください。
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