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「宇宙ラーメン」にまつわる話 上


ながらく探している本がある。
小学生の頃、実家から少し離れた大きめの図書館で確かに手に取り、貸出してもらった。という記憶がある。
当時のわたしには酷く衝撃的で、今も尚その衝撃が忘れられずもう一度読みたいと探し続けている。
しかしこの本を知っている人に出会ったことがない。
博識聡明な知人たちに聞いて回った。
だだっ広いインターネットで検索し続けた。
知恵の猛者集まるあらゆるコミュニティで質問した。
しかし未だにこの本にもう一度辿り着くことが出来ていない。

大きな要因は、わたしがこの本のタイトルや内容をちゃんと憶えていないからだ。
そもそも過去の記憶が殆ど無い。妄想と現実がごちゃまぜになっている。
この本ももしかしたらわたしの妄想なのかもしれない。
でもチビのわたしは確かに手に取ったんだ。
この本が存在しているのであれば、曖昧で断片的なこの本の内容をもう一度完結させたい。

この本について、何度も聞かされている人がいたら申し訳ない。
これから書くことに関して、何か少しでも情報を持っている人がいたら教えて欲しい。



ここまでの文章を書いて、さあ本について触れていこうと意気込んだ瞬間電話がなった。
急遽、実家に帰ることになった。
何だか嫌な予感がするっちゃするし、しないっちゃしない。
実家に着いてからは少しバタバタして続きが書けないだろうから、取り急ぎこの文章だけを行きの新幹線の中で打ち込んでいる。
漠然と、あの本の話をしない方が良かったんだろうかと不安に駆られた。
このタイミングで思い出さない方が良かったんだろうか。
人間、何かと因果関係を持たせたがる節があると思う。今のわたしがそうだ。
壁のシミや影を幽霊と錯覚したり、金縛りを霊障と結びつけたり。
実家に帰って少し時間が出来たら、あの本と出会った図書館にも行ける。
誘われているとでもいうのだろうか。
今までも幾度となくこの本を話題に出したことがあるわけだから、関係ないと思う。でも。

兎にも角にも、次のわたしのnote更新日は木曜日。そのとき、この本についてもう一度書きたいと思っている。もしも図書館に行けて、本が見つかっても見つからなくても。わたしの身に何か怖いことが起きても起こらなくても。

突拍子もなく怖さと結びつけてしまうのは、わたしの実家はおばけが出るし、土地柄人の怨念渦巻いているからである。土地が呪われているものだからもうどうしようもない。
怖いから帰りたくないなぁと、新幹線の窓の外不穏に吹雪く雪を眺めながらわたしはため息をついた。

中村ボリ

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