時に想像しあったのかな?私たち。

 排気口新作公演『時に想像しあった人たち』の予約&稽古が始まった。夏の強い日差しの中、私たちは汗をかきながら集まる。その足取りに過ぎ去る死の匂いを感じながら。

 台本作業は1場の半分強まで書き上げた。大好きなお酒を呑まずにひたすらパソにキーパンの連打によって編まれる文字列に、苦悩と欲望の形を見る。

 過ぎ去ってしまう時間を現在の私が留めておけるのは想像出来るからだ。未だ見ぬ未来に喜びを見出せるのは想像出来るからだ。

 貴方の心の内を想う様に傷付ける事が出来るのは想像出来るからだ。

 何も今回はデカい劇場だからってすげえ事をしよう。みたいな気合は無い。すっかり肩の力を抜いて私たちが面白いと思うものをしっかり作ろう。
だから観に来てね。多分、一人一人にドアノック出来るような台本を、それもめちゃくちゃくだらない類の、書いてる途中だから。それに役者の方々が身体を乗ってけてる途中だから。

 例えば人を傷付ける言葉の選び方をしてしまう。でもそれは愉快な気持ちじゃなくて、よわい色んなものの味方をしてるつもりだから余計にタチが悪い。

 勝手に手を掴んだ気になって勝手に弱いと決めつけて勝手に自分にはそれなりの優しさがあると思い込んで、周りの人たちは鈍感だと思っている。

 それはとても良くないと私の中の私が言い続けてる。でもその声はとてもか細い。とても聞き取りづらい。

 人はとんでもなく野蛮でくだらなくてでもそんな所にしか人が人である証明が宿らなくて、でも美しくいたい。とか夢見てる。醜さに裏打ちされた美しさ。それも私の勝手な思い込みだけれど。

 青い光が部屋を染めている。最近、何度もこの風景を見ながらどうしようもない存在しない思い出について後悔している。生きててよかったねって聞こえちゃいけない声が聞こえる。見たくない生々しい欲望が床に寝そべって楽しそうにイビキをかいてる。私は風邪をひかないようにそっと欲望に毛布をかける。

 私は吹けば消えてしまう私の精神を、かけがえのないものとして言い聞かせてはありきたりな痛みに身体を沈めている。永遠のお伽話みたい。声が聞こえる。もう朝になる。

 例えば人を傷付ける言葉の選び方をしてしまう。そんな事よりも誰かがふっと思わず笑ってしまうような。本当はそんな風に言葉を使いたい。少しだけ臆病で偉大な卑怯さが、そうさせなくするんだ。それを自分なりの優しさだと言い聞かせながら。

 例えば人を傷付ける言葉の選び方を私はしてしまう。どうしたもんだろう。どうしたもんだろう。

 いつかまた無邪気に笑えたらいいね。これから先もずっと貴方と会わないとしても。

 私がよくよく混乱してもう言葉を信仰しなくなっても。

 ね、そうだよね。

 多分だけど排気口新作公演は貴方にとって誰とこようと独りであろうと「何もなかった訳じゃない想い」がそっと隣に座ってる。終演の眩しい光の中で。

 

 予約はこちらから。皆さんの穏やかさを祈って。熱中症ホントに気を付けてね。

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