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僕とThe Clash


THE BLUE HEARTSを中一で聴き始めて中三までは邦ロックというかブルーハーツチルドレン世代をずっと聴きまくっていた。
(STANCE PUNKS、LINK、GOING STEADY、Hi-standard、THE LILAC、HIGHWAY61等々)
そんな僕はある日神器を手に入れた。デジタルオーディオプレーヤーだ。
分からない人に説明するとデジタルオーディオプレーヤーとは音楽を聴くためだけのスマホみたいなものである、初期は容量がクソほど少なく4GB(800曲分)でも狂喜したものだ。
兄貴が買い換える度にお下がりを使わせてもらっていたので自分でお金を使う事無くこの神器を中三から使っていた僕は一々CDを選ぶことなくランダム再生という今は当たり前にあるシステムにすっかり魅了されていた。
今まで自分がやっていたアルバムをランダムに選ぶ作業を勝手に機械側がやってくれるのだ(ただ僕は1年ほどランダムアルバム再生というものを知らないで1曲毎のランダム再生をずっと使っていた、これのせいか分からないが僕は未だにアルバムを通して聴く事があまりない、とんでもない弊害)知らない曲が勝手に流れる事に甚く感動していた僕はランダム再生で流れてきたThe Clashに気づいたら夢中になっていた。
最初はどの曲だっただろう、「Tommy gun」の切れ味に打ちのめされたのか


「Spanish Bombs」のPOPさにときめいたのか

「Stay free」の泣きメロにやられたのか

今となっては覚えてない。とにかくThe Clashの曲をランダムで再生しまくっていた。

高校に入ってサッカー部の先輩達(奇跡的な音楽の趣味の合致具合の人が3人ほどいたのだ)とRAMONESやThe Clashのコピーバンドをしたりした。
元々中学時代お遊びでギターは弾いていたがこのコピーバンドをする為にベースを兄貴のバンドのベーシストから譲り受け1か月くらい練習して弾けるようになった。カッコつけて指弾きしようとしたが手が度々痙りそうになったのとピックを使った時のアタック音が初期パンクの楽曲っぽかったのでピックでずっと弾いた。

専門辞めて大学入学まで1年ほどフラフラしてた時、The Clashのコピーバンドやるかってなった時に兄貴にベース弾いてもらって初めてボーカルやらせてもらったけど、英語の発音が絶望的に悪かったのでB-DASH語みたいな架空語でそれっぽく歌った。

振り返ってみたら真面目にガチの青春と言われる時期を過ごしていた頃隣に居たのはThe Clashかもしれない。
初めてデート行く時も「I fought the law」聴いて気分高めながら立川向かってたし、大事な試合の前とかもジョーやミック・ジョーンズの声に鼓舞しもらってた記憶しかない。


個人的にシェイ・スタジアムのライブ盤が生涯最高ライブアルバムなんでみんな各サブスクで一からフルで爆音スピーカーで聴いて欲しい。

坂本ヤマト


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