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「宇宙ラーメン」にまつわる話 下


前回書いたとある本についての続きにあたる。

まず初めに、木曜日にnoteの更新を出来なかったことを謝らせてほしい。わたしの更新日は月曜日と木曜日になっている。遅れてしまっても0時を回って数時間以内にはアップロード出来るようにしている。しかし今回、丸一日更新が遅れてしまった。のっぴきならない理由があって、それは後述する。不可解なことに巻き込まれている。

前回書くことができなかった本について、特徴や覚えていることをまずは書いていく。
小学生のときに図書館でたまたま見つけて、その後もう一度出会えずにいる本である。インターネットでも現実でも、誰に聞いても知っている人がいない。

見た目は文庫本より少し大きく、表紙が文庫本よりは厚く単行本よりは薄い。ヤングアダルト(YA)シリーズの「サイコバスターズ」などと同じような作りだった。
この本自体も小中高生向けの棚にあったような覚えがあるが、覚えている内容的にそぐわないため定かではない。SFの棚に置いてあったような気もしている。
本のタイトルは「宇宙ラーメン」だった。そうだと思い込んでいた。この文章のタイトルが「宇宙ラーメン」なのもそういった理由だ。何度「宇宙ラーメン」で検索しても該当の本が引っかからないから多分違うのだろう。しかし、わたしの脳内で「宇宙ラーメン」なんて単語は到底生まれそうにない。この本のどこかで「宇宙ラーメン」という言葉が絶対に出てきた。ヒントは必ず「宇宙ラーメン」にあると思う。
本の内容は、オムニバス形式だった。短編〜中編小説と漫画がそれぞれ違う作者によって書かれていたような気がする。全体的に、SF、ほんのり怖い、ちょっとエロみたいな雰囲気だった。
いくつかの小説の中に、たしかひとつだけちょっとエッチな漫画があった。画風はへたうまな感じで、ガロとかアックスの現代版みたいな感じだったと思う。
小説はいくつ収録されていたか覚えていない。しかしその中で強烈に印象に残っているものが2つある。覚えている限りで書いていく。
ひとつは、月に追いかけられ続ける人のはなし。
この本(以下、仮で「宇宙ラーメン」」にする)を探すにあたってインターネットの掲示板や質問サイトでこのような文をのっけると、回答してくれた人のほとんどが安部公房の「笑う月」を挙げてくれたが残念ながら違う。安部公房の作品は大好きだ、面白いから。
「宇宙ラーメン」の中の小説では、とにかく主人公が月に見られ続けていた。初めは誰からの視線か分からずに生活していた。出かけているときも、家にいるときも、恋人だか奥さんだったかと性行為しているときも見られていた。ある日、何者かから電話がかかってきた。たしか、なんだか怖い内容だった。そのとき、自宅のマンションの窓から外を見ると大きな月と目があった。それで自分がずっと月に見られていたことを悟った。その後も自分を監視し続ける月がどんどんどんどん大きくなっていく。そういった内容だった気がする。
もうひとつは、その物語の主人公の感覚がバラバラになってしまうというお話。例えば、くすぐられると痛いと感じたり、足の小指をぶつけると背中が痒いみたいな感じだ。本当の内容でのあべこべになってしまった感覚が何だったか覚えていないため、これはわたしが考えた例である。そんな中強烈に覚えているのは、爪を切ると絶頂してしまうということだ。こちらの話はこのくらいしか覚えていない。

「宇宙ラーメン」について覚えているのはこれで以上だ。
わたしは「宇宙ラーメン」をずっと探し続けている。
もしも心当たりがある方がいたら教えてほしい。
このまま見つかることがなかったら、もういっそこの記憶を軸に物語を書いてしまおうかと思っている。「宇宙ラーメン」もコピーライトを付けたい。


さて、最初に書いた不可解な出来事についてだ。
前回のnoteにあるように、わたしは実家に帰省した。
時間があったら「宇宙ラーメン」を探しに図書館に行くと言っていたが、実際に行ってきた。案の定「宇宙ラーメン」は見つからなかった。
正直に言うと、実家に着いた時点で「宇宙ラーメン」のことはどうでもよくなってしまっていた。
何故かというと、実家の様子がどうもおかしかったからだ。
実家の外装を見て、少し違和感を感じた。上京してもう何年も立つ。実家の鍵を持っていないため、インターホンを鳴らすが誰も出ない。玄関の扉を引くと、鍵が掛かっていなかったのか普通に開いた。玄関から中に声をかけたが返事がない。おかしいなと思いながら家の中に入ると、どうも様子がおかしいのだ。やけに古びている。実家は十何年も経っているが建て直された一軒家で、フローリングも畳も割と綺麗だった。しかし、床のところどころが腐っている。畳の部屋は、畳がところどころはがれ、黒ずんでいる。真っ白だった壁にもシミがあったり、挙げ句の果てには大量の蜘蛛の巣だらけになっていた。なんというか、廃墟のようだ。おかしい。というか、わたしは去年の年末ごろにも実家に帰省している。数ヶ月でこんなことになるのだろうか。
そもそも家族はどこにいってしまったんだ。わたしは実家から電話があり、ここに来ている。何故いないのか。急いで家族それぞれの電話番号に連絡するが、誰にも繋がらない。とにかく、全てがおかしい。まるで何十年もこの家に誰も住んでいなかったような朽ち方をしている。
図書館に行ったのは、途方に暮れてしまい、何かしていないと頭がおかしくなってしまいそうだったからだ。
何かするとしたら、文章を書くこともできる。でもそれができなかった。木曜日にnoteを更新することができなかった。

これから書くことが、その理由である。
たぶんわかってもらえないと思うが、聞いてほしい。

図書館で「宇宙ラーメン」を探し、やはりそこに無いということがわかった次の瞬間、わたしは自宅のベッドの上で目が覚めた。
それが今朝である。
意味がわからなかった。わたしは、確かに新幹線に乗って実家に帰り、途方に暮れて図書館に居た。再び新幹線なりで数時間かけて帰らないと自宅にいるなんてありえない。
それに自宅も何処かおかしいのだ。確かに自分の家なのだが、なんだか他人の家にいるような感覚がある。家にある物のひとつひとつの記憶はあるが、自分の物である実感がない。
目覚めてすぐに、考えるよりも先に「排気口」のグループLINEに自分が予定通りにnoteを更新出来なかったことを謝罪していた。そして、お叱りの返信が届いた。どこか他人事のように感じる。「排気口」で演劇活動をしている、メンバーの名前もわかる、でもその記憶はあるのに実感がない。
というか、実家に帰省したのは月曜日、時間が飛んでいる。
「排気口」のLINEで謝罪した手前このことを説明しようと思ったが、なんと言っていいのかわからずそのときは言い訳が出来なかった。
とにかくnoteを更新しなければ、それだけはしなければいけないと思った。
しかし起きてすぐに物書きが出来なかったのは、自宅に存在する自分の物だけど自分の物じゃない物たちが気持ち悪くて、ついさっきまで掃除していたからだ。生活できる最低限のものだけを残し、他は全て捨てた。
そうして今、頭を整理しながらこのnoteを書いている。
所謂、3秒前だか5分前から世界が始まった、みたいな。記憶のデータだけ内蔵されて、誰かの人生を生き始めた気分だ。

「菊地穂波」「坂本ヤマト」「佐藤あきら」の「排気口」のメンバーと「倉里晴」「坂本恕」とともに演劇をする。よりにもよってわたしの企画公演だ。わたしは中村ボリ、ずっと中村ボリだ。中村ボリは演技をしたことがあるが、わたしは記憶はあるものの演劇をしたことがない。
不安だ。
次の稽古の日程も決まっている。初めて会う彼らに、今までのように話ができるのだろうか。

事実は小説より奇なりを身をもって体感している。
「宇宙ラーメン」についての情報が欲しい、とりあえずまずは。


中村ボリ

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