短歌「晴れの花」
母病みて家居となりて桜とは晴れなる花と思ひけるかな
今年の桜も終わってしまった。と、言う感懐をここ数年毎年くり返している。いながら桜の見られる家に住む人は少ないだろうから、桜は「出かけて」見る花には違いない。かと言って日本に住んでいれば、日常生活の中で桜にまったく出会わないことも稀だろう。その意味で桜は非日常の晴れの花であると同時に、日常の褻の花ということも出来るのではないか。
だが、母の足が萎え、ごく近所でさえ気軽に出かけられなくなると、桜の特別感が増してきた。やはり桜とは「花見」という行為をともなう晴れの花であると思うようになった。「さまざまの事おもひ出す桜かな」芭蕉。桜でなければこう詠めないと、改めて思う。
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