「子供の日」に寄せて

日本では、性悪説ならぬ性"アホの子"説の傾向が強い。

例えば。
従業員に守って欲しい事が出てくると
朝礼などで唱和させる企業が多い。
「我々を子ども扱いするな」と内心思いながら
日本の従業員は従う。


「自分」の境界線は曖昧だ。
瞬間を切り取った時、肺の中の空気は自分に含まれるのか?

しかし、何となくの境目はある。
髪を切る・髭を剃る・爪を切る。
残った物は、確かに今まで自分の一部だった筈。
それに執着し、生涯保存している人はおそらくいない。


オギャーと生まれて、へその緒を切った瞬間から
赤ちゃんはお母さんから見た「自分」の境界線外に出るはず。
しかし、お父さんまで一緒になっていつまでも子供を
「自分」の一部扱いする家族は少なくない。

これは、親を取り巻く環境が性"アホの子"説で
動いている事が影響していると思う。
「子供は何も分からないから、親が一から十まで導かないと」
という意識で動いてしまう。

真面目で責任感強い人がそうなるように感じる。
逆にキラキラネーム付けるような親は、
「子供をのびのび育てないと」って放し飼いみたいにしている。
(あくまでも傾向)


いわゆる「毒親問題」は、毒親への啓蒙じゃ
解決しないような気がしている。
一旦その家庭で導き出した正解で動いてるわけで、
根本を変えないと。

因果関係ある社会の慣習を変える部分は
子供いない人・子育て終わった人も関係ある事。
社会の一員として、何ができるか考え行動したいと思っている。

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