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記録ではなく表現として

カメラを持つようになってもうすぐ3年。
プロではないし、アマという感じでもない。運良く自分の写真が専門誌の表紙を飾るという経験はしたけどあれはタイミングが良かっただけだと分かっている。

自分にとって「カメラ」とは見たものを自分なりの感性と視点で切り撮らせてくれるもの。撮ってみたいと思ったものをファインダーで捉えシャッターを押す。そしてそれがどのように2次元化されたのかを確認するツールが「写真」になる。
写真に残すための撮影ではなく、撮ることを楽しむための写真。ちょっとなに言ってんだか分からない。

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写真家ワタナベアニさんが表現としての写真と記録としての写真は同じカメラを使っていても、やっていることにまったく共通点がないと言っていた。

表現と記録

カメラで撮るという行為をただ楽しんでいる自分にはとても響く言葉だった。そしてわかりやすい言葉だった。
自分の写真は一体どちらなんだろう。考えてすぐに答えが出た。
自分の写真は記録としてじゃなく表現に向かったものでないとつまらないな、と。自分が目で見て捉えたもの、心で捉えた感情。それをカメラで捉えたらどうなるのか。それが自分の写真。
きっとその写真は表現に向かっているように思う。

写真の他者からの評価は「何をどう撮ったか」の個性にある
与えられた状況を定番の方法でうまくこなすことを誰も表現とは呼んでくれないという究極がインスタ映えであり、インスタ映えている人のことを指して「優秀な写真家である」とは言わない

ワタナベアニの言葉は物事の本質を捉えていて、それでいて分かりやすい。スコだ。
本もオススメなので貼っておこ。

ロバート・ツルッパゲとの対話 https://www.amazon.co.jp/dp/4908586071/ref=cm_sw_r_cp_api_i_vhJWEbRQDDVZG

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