不登校とフリースクールについて思うこと
お久しぶりです。1週間ほど前、就活が終わりました。
そして今は卒業論文執筆と通関士の勉強をする日々です。
ただしこの2つとも、つい最近本腰を入れ始めたばかりのため、全然納得する量は進んでいません。焦っています。
そして今回は卒業論文について考えを少しスッキリさせたいと思い、noteを書いています。
卒論はフリースクールの経営について書こうと思っています。
そこで今は、フリースクールについての本を読んだりしている状況です。
そうしてフリースクールについて考えているうちに、フリースクールの意義を見失ってきました。
本編に入ります。
前提知識として、フリースクールとは何かを説明します。
日本におけるフリースクールは、基本的に「不登校の子の居場所」として存在しています。
きっちりカリキュラムを組んで学習するというより、心を安らげる場であることを最優先にしている感じです。
通常の学校とは違い、テストのための勉強というよりも、料理や工作、野外活動などの幅広い学びを提供するというフリースクールが多いです。
次はフリースクールの運営状況について。
フリースクールは財政的に厳しいところが多いです。
そのため、行政からの補助金や助成金を活用して運営しているケースがよくあります。
この件について思ったことがあります。
「行政は、不登校を解決できる力がないと認めているようなもんやん」
別に不登校の解決は絶対でないと思いますが…
民間で解決してもらおうと匙を投げているように感じられるような…?
(注:これ以降、支離滅裂なことを書いています。多分読みにくいです。ごめんなさい。)
不登校になっている当事者は、人によると思うけど、行けるなら学校に行きたいんじゃないかなあ
フリースクールが増える、経営がうまくいくのはいいんだけど、それって需要があるっていうことじゃん?
「フリースクールの需要がある=不登校の数が減ってない」
こういうことですよね~汗
ちなみに、自分の不登校の経験上、学校に行けていない時期は自分が社会のレールから外れてしまったと感じて自己肯定感は爆下がりしていた。
逆に、学校に行けるようになった(不登校後)時の自分には、社会のシステムに適応できているという自信を持てていた。
フリースクールで自分の安心できる場所を得ることはもちろん素晴らしい。
ただ、自分がフリースクールにいると仮定して、フリースクールに通う子供たちの気持ちを考えてみる。
考えた結果、全員とはいかないまでも一部の子どもは、フリースクールに通っている自分自身に対して、心の底で通常の社会に適応できない自分を認めているような気持ちになりそう。
彼らは、「叶うならば、普通の学校生活を送りたかった」と考えているのでは、と思ってしまう。
別に不登校は悪くないけど、苦しいやん?(本人の精神が)
だから、不登校になる子供が極力少ない方が私は嬉しい。
不登校支援も大切だけど、不登校になる子を出さなくて済む公的な教育をもっとやってほしい。
そうしたら、究極、フリースクールもいらない。
フリースクール(不登校生徒の居場所・学習支援の場)は、理想としては0の方が、みんなハッピーな教育体制じゃない??
ちなみに欧米のフリースクールは、不登校の子どもの居場所という意味合いよりも、自由主義教育を体現した場としての意味合いが強いようです。
だから、日本でも将来的には不登校支援のためのフリースクールが減って、自主性を養う課外学習や交流の場としてのフリースクールが主流になればいいなあ、とぼんやり思います。
今日は以上です。
またぼちぼち記事を書こうかなあと思います。
ご覧いただきありがとうございました!
2023年6月28日
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