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この夏、個展をします

詳細は上に貼りましたので、告知的なことはひとまずおいておいて、個展をする際にあたって考えたことを、覚書程度に書き留めておきます。

以前から、Twitterでただ写真を垂れ流すことに、なんとも言い難い勿体無さを感じていました。タイムラインの中では、私の写真は他の人々の写真に揉まれ、まみれ、呑まれていきます。一枚一枚は注視されることなく、多くの写真はスマートフォンの画面上でサムネイルくらいの大きさで眺められ、アーカイブされることもなくただたただ消費されていきます。

SNSに私生活をあげ、自分の視点を表明することは、確かに現代においては、一定の地位を得る手段になっているとは思います。ただ、その中で人とは違う文脈を、派手さのない写真で語り続けるのは、いささか孤独な作業であることを否定しません。

ただ、幸いにも私の写真は、幾人かの人々の目に留まることもあり、決して誰にも評価されない訳ではありませんでした。そのことは非常にありがたいことであるものの、そうした人々に対して、自分が誠実に向き合うためには、SNSだけで写真を発信するだけでなく、リアルの場で実際のプリントを見てもらい、忌憚のない意見を頂くべきではないか、とも考えるようになりました。

そうした場を設けるためには、グループ展や公募展は適切でないとも感じました。これ以上、なんらかの他の文脈にあえて迎合する必要はないと感じたためです。

それよりも、誰も来ないかもしれないけれど、敢えて、ほんの少しくらい都心から離れた場所で、自分の写真をわざわざ見に来たいような、有り難いくらいもの好きな人々のために、展示でしかできないことをしたい。それが形となったのが、今回の個展です。

個展のテーマには、私が最近生活している、東京という場所を選びました。その中に見えてくる、パブリックなイメージから、そうではないイメージまでを、展示スペースいっぱいを使って表現できれば、と考えています。決して大掛かりな展示でも、派手な展示でもありませんが、それでも、今の自分の全てを精一杯注いだ場所にします。

可能なら是非在廊日に来て頂いて、いろんなお話が出来ればいいなぁ、と思っています。アフターでご飯を食べに行ったり、記念にチェキを撮ったり、そういうことが出来るようにもするつもりです。

私のここ最近を注ぎ込んだ場を、よければ是非、見に来てください。


追記……秋または冬において、京都でも同様の展示を企画しています。関西の方にはこちらに来ていただければ、嬉しく思います。








サポートして頂けた分は、写真に対する活動全てに充てさせて頂きます。缶コーヒー1本分からの善意への期待を、ここにこっそり記します。