見出し画像

事実となる地

どこでも住めるとしたら、どこに住みたいか。

シンプルだが、明確な答えが私の中にはある。

6年前、私はパティシエを夢見る高校生だった。
高校2年生の頃には、製菓学校に進学し、卒業後はフランスに留学すると決めていた。

当時の私にとって、3年後にフランスに行く、その事実は、事実なようで実現されるかわからない不確実性に満ち溢れた夢のような存在でもあった。

それから3年間、時間の経過と共に積み重ねた日々の分だけ、その夢を事実と捉えることができるくらいの実力を身につけ、期待を膨らませた。

そして、期待の分だけ大きな事実となった。
フランスの生活は、目まぐるしく、必死にしがみつき、もがいていた。
辛かった。
毎日泣いてばかりだった。
それほどお菓子と、自分と真剣に向き合っていた。

そしてその分幸せが痛いほど沁みた。
留学先の寮では、恋人ができた。
毎日夜遅くまでお菓子の話をした。
休みの日には一緒に勉強したり、のんびりしたり、少し遠出をして旅行に行ったりもした。

私たちが暮らす寮は、葡萄畑に囲まれていた。
葡萄畑に沈む夕日を2人で見ることが週末の習慣だった。
塀に座って、ずっと先まで続く葡萄畑を眺めながら深呼吸をすれば、幸せが体の先端まで感じられた。

つまりは、私のフランスでの留学生活は、夢のような時間で満ち溢れていた。
辛かったことも幸せだったことも、全てが輝いている、夢のような、3年前の過去の事実。

フランスは、過去の事実となったが、
それは夢のような過去であり、時の経過と共に事実でありながらも再び不確実性を増していく。
記憶は少しずつ、ただ確実に曖昧になり、美化されていくものだ。

私の留学生活は、近年大流行した感染症の影響で突然に終わりを告げた。

帰国直前、これほどまでに期待をしていた地との突然の別れを惜しみ、街の景色を目に焼き付けようと街に出た。
ほとんど人はいなかったが、教会には老夫婦が祈りを捧げていた。

帰国直後、フランスはロックダウン、世界中で死者が増え、
あの老夫婦は無事なのだろうか、あの街はどんな風になってしまったのか、そんなことばかり考えていた。

世界は変わった。

私がフランスにまた行ったとしても、あの場所に戻ったとしても、同じ景色は見ることができない。
それは世界が変わったから。
そして私自身が美化された過去を求めようとしてしまうから。



私は今、製菓学校の教員をしている。
目標は、自分が留学していたあの地に教員として再び戻ること。
今の私にとって、フランスは過去であり未来でもあるのだ。

未来のフランスは、夢ではなく目標であり、不確実なものではない。
むしろ確実に事実になると信じている。
それは私が、フランスを夢見た6年前よりも、フランスから夢をもらった3年前よりも、強い意志のある大人になったから。
曖昧な過去の記憶ではなく、フランスを確実に自分の中に取り込みたいと思っているから。

葡萄畑を眺め、深呼吸をし、その事実を噛み締める日を想像する。
それは、目標に届くための確実なステップを踏む原動力となる。


どこでも住めるとしたら
フランスに住みたい。

それは美化された過去の記憶ではなく、これから新たに創造するまっさらな未来。

それを事実にしてくれるのは、フランスという地であり、ここにいる私自身なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?