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【talk】「勉強すること」の意味について。


私は高校生の頃、初めて勉強というものに対して大きな苦手意識を抱くようになりました。
以前のnote『前向きな私になるまで』でも触れましたが、その頃の私は精神的に少し不安定になっており、正直いって勉学にはほとんど身が入りませんでした。

当時の私は、大人になったときに日常で使わないことを勉強するのは意味のないことで、ただ近い将来の試験や受験のためだけに学校で習ったことを覚えていくのだと思っていました。
そして、そのことをなんだか少し空しく感じていたんですね。

中学生までの私は成績は良かったので、勉強することを特に苦痛に感じませんでしたが、高校時代の私は成績も良くない上に勉強することへの意味を見出せず、とても苦しく感じていたことを覚えています。


その後、勉強が苦手なまま大人になりましたが、ある日私の価値観を大きく変える言葉と出会うことになります。
太宰治が自身の著書で述べている有名な言葉で、ご存知の方も多いかもしれません。

「 勉強というものは、いいものだ。
代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。
植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。
日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。
何も自分の知識を誇る必要はない。
勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。
覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。
カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。
つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。
学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。
けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。
これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。
そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。
ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!」  

太宰治「正義と微笑」より「パンドラの匣」新潮文庫収録

この言葉を知ったとき、感銘を受けたんですね。
「勉強すること」の正しい意味を初めて理解できたような気がしました。

学生時代、将来に必要ないことを知っていくのは無意味だと思っていましたが、そうではなかったんですね。
この言葉を受けて私は、自分なりに「勉強すること」の意味を下記のように考えるようになりました。

「勉強とは、自分の世界を広げることであり、それが人間性を深めていくことに繋がる」

このように考えるようになってから勉強することを楽しく感じるようになりました。
図書館へ行き、興味が沸く分野の本をいくつも借りてきて読み漁りました。


勉強することを楽しく思えるようになった今だからこそ、苦しんでいた高校生のときにこの言葉と出会いたかったなと思います。
当時の私がこの言葉を知っても成績を上げることができたかはわかりませんが、少なくとも「勉強すること」の意味を自分の中で確立することは出来たのではないでしょうか。

勉強はいつから始めても遅いということはないと思います。
でも、学生の本分として一日の多くの時間を勉学に充てることができたあのときから、もっと色んなことを知っていきたかったなとほんの少し後悔してしまいます。



「人間は死の瞬間まで成長できる」という言葉を聞いたことがあります。
何歳になっても学習意欲を持ち、自分を成長させようとし続けることはとても大切なことなのかもしれません。

時間は誰でも平等で有限です。
しなければならないことも、したいことも沢山あります。
そんな中でも少しずつ「勉強する努力」をし、自分を育てていく時間を大切にしていきたいと思います。







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