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母のEOL(人生最終段階)にQOL向上に努める娘はライフシフトで今を生きて

2023年10月19日

最近ブログを書くことが遠のいていますが、私は元気です!

母も抗がん剤の副作用による肌の痒みに多少煩わされてはおりますが、お陰様で体調は安定しており、元気です!

ブログを書く手が進まないのは、私に何やら心境の変化のような(はっきりと認識できていないのですが……)が起こっている最中のようで、そのために何を書いていいのかポカーンとした期間を過ごしていたからなのですが、久しぶりにそのポカーンがポッカーンと吹っ切れたというか(パッカーンと開ききった感じでは決してなく)、単に気が向いただけともいえますが、数週間ぶりにブログを書き始めることができました。

そんな今回のブログテーマは、「End Of Life(EOL)にQuality of Life(QOL)」です。


エンドオブライフケア

がんサバイバーの母と私のことを綴ったこの一連の記事に『母のEnd Of Lifeに』というタイトルを掲げているのですが、この「End Of Life」という言葉を皆さまはご存じですか?

私は母がステージ4の大腸がんを告知される以前には、耳にしたことがありませんでした。

がんサバイバー家族となった当初、がんサバイバーとなった母に関わるであろうことを思いつくままにネットで調べていたのですが、その時、「エンドオブライフケア」について書かれたいくつかのサイトに出会いました。

看護の視点から考える「エンド・オブ・ライフケア」の特徴とは……

1.その人のライフ(生活や人生)に焦点を当てる
2.患者・家族・医療スタッフが死を意識したときから始まる
3.患者・家族・医療スタッフが共に治療の選択に関わる
4.患者・家族・医療スタッフが多様な療養・看取りの場の選択を考える
5.QOLを最期まで最大限に保ち、その人にとっての良い死を迎えられるようにすることを家族とともに目標とする

エンド・オブ・ライフケアとは | エンド・オブ・ライフケアの考え方 | 千葉大学大学院 看護学研究科 エンド・オブ・ライフケア看護学 (chiba-u.jp)

また、このようなエンドオブライフケアの在り方が重要になるのは、「人々が死について考えるとき」とありました。

私はあのときからまさに、母の死について考えるときにいます。


End Of Life 人生の最終段階

「End Of Life」とは、「人生の最終段階」という意味がありますが、よく似た言葉に「人生の最終章」という言い方があります。終活について語られるときなどに、この言葉が使われていそうです。

一方「人生の最終段階」は、エンドオブライフケアについて語られる中で使われているのを見かけますが、その他の場所では見かけたことがありません。

この領域に入るまでは目にすることすらなかった「End Of Life(人生の最終段階)」という言葉。人生にはいくつものステージがありますが、人生の最終段階End Of Lifeとは、人生の最終章にして最後のステージなのでしょう。

母はそのステージに足を踏み入れてしまった。

そして、私はその付添人なわけです。

そんな私は、母のEnd Of Lifeにどう在るのか、どう生きるのか―――私は私で今、ライフシフトの最中、人生の移行期にいるのだろうと思います。

そんな私のプロフィール代わりの初回記事、まだでしたらぜひ読んでみてくださいね。

End Of Life≠終末期(ステージ4=末期は勘違い!?)

人生最終章の最終段階、最後の最後……とはいえ、母は最後の最後の最後の段階には、まだいません。

私が最後の最後の最後と考えるのは終末期であり(その中でもまた月単位、週単位、日単位、時間単位と予後予測を表せるようですが、ここでは割愛します)、ステージ4の大腸がんで抗がん剤治療を行っている現在の母は、まだその段階にはいません。

これは余談ですが、聞いた話によると、ステージ4を末期だと勘違いされている方も多いとか。

私は母ががんの告知をされることが予期されたとき、ネットでがんについて予習していたのですが、その時まで、ステージについてまったくピンときておらず、ステージ4が最終ステージであることももちろん知りませんでした。

がん情報に疎く、良いも悪いも何も知らない、また先入観なども殆どない所からがんサバイバー家族を始められたことは、母にとっても私にとっても幸いでした。自分は何も知らないという認識があったからこそ、余計な情報に翻弄されずに済んだのだと思います。

がんについての間違った情報やイメージが世間には蔓延しているといいます。そのせいで、がんサバイバー本人や家族が苦しめられるようなことがあってはならないと思います。

とはいえ、私は何が正解で何が間違いかを知り得ないので何もアドバイスなどはできません。ですが、これだけは言わせてください。先入観や怖れに惑わされないことが肝心です。

私もすぐ色眼鏡で見てしまったり、少しのことで怖がったりパニックに陥ったりなどすることもあるので、自身の心の状態に気づいていること、気持ちを整えることを常日頃意識しています。自分がどのような態度で物事を見ているか、それに注意を払い、一緒に健全ながんサバイブを続けていきましょう。


最善の生を生きる

そう、母は末期ではない。

でも、母の死はそう遠くはないのでしょう。

千葉大学大学院看護学研究科エンド・オブ・ライフケア看護学では、エンドオブライフケアをこのように定義しています。

診断名、健康状態、年齢に関わらず、

差し迫った死、あるいはいつかは来る死について考える人が、

生が終わる時まで最善の生を生きることができるように支援すること

エンド・オブ・ライフケアとは | エンド・オブ・ライフケアの考え方 | 千葉大学大学院 看護学研究科 エンド・オブ・ライフケア看護学 (chiba-u.jp)

母に、母の生が終わるその時まで最善の生を生きて欲しい。そのために、私は母に寄り添いながら、Quality of Lifeの向上ないし維持を心がけています。そのためには、繰り返しになりますが、間違った情報などに翻弄されてはなりません。それには、心の在りようが重要ですね。


QOL(Quality of Life)

前述のエンドオブライフケアの特徴には、「QOLを最期まで最大限に保ち、その人にとっての良い死を迎えられるようにすることを家族とともに目標とする」とありました。

このQOL(Quality of Lifeの略)とは生活の質という意味ですが、人の幸福にとって欠かせないものです。

クオリティ・オブ・ライフ(英: quality of life、略称: QOL)とは、ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた『生活の質』のことを指し、ある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度としてとらえる概念である。

クオリティ・オブ・ライフ – Wikipedia

健康関連QOLの定義についてはこのようにも記されており……

国際的に定義について必ずしも合意が得られているとはいえないが、1947年の世界保健機関(World Health Organization:WHO)の健康憲章から「(略)not merely the absence of disease, but physical, psychological and social well-being(単に疾病がないということではなく、身体的にも精神的にも社会的にも完全に満足のいく状態にあること)」と定義されることが多い[2]。ただし、この部分には1998年に「spirituality(霊的/宗教的/実存的)」という文言が加えられており、その意味については多くの議論がある[2]。

日本では、2000年に旧厚生省大臣官房障害保健福祉部が公表した「障害者・児施設のサービス共通評価基準」の用語解説にある「日常生活や社会生活のあり方を自らの意思で決定し、生活の目標や生活様式を選択できることであり、本人が身体的、精神的、社会的、文化的に満足できる豊かな生活」をQOLとする定義がある[2]。

クオリティ・オブ・ライフ – Wikipedia

以上に目を通してみると改めて、QOLが人の幸福の指針となるあまりにも重要な尺度であるということを再認識させられます。

そんなQOLは、がんの治療に際しても当然のことながら最も考慮すべき点であり、国立がん研究センター「がん情報サービス」の用語集の中にもこのように記されています。

治療や療養生活を送る患者さんの肉体的、精神的、社会的、経済的、すべてを含めた生活の質を意味します。病気による症状や治療の副作用などによって、患者さんは治療前と同じようには生活できなくなることがあります。QOLは、このような変化の中で患者さんが自分らしく納得のいく生活の質の維持を目指すという考え方です。治療法を選ぶときには、治療効果だけでなくQOLを保てるかどうかを考慮していくことも大切です。

[QOL]英語名Quality of Lifeの略。

クオリティ・オブ・ライフ:[国立がん研究センター がん情報サービス 一般の方へ] (ganjoho.jp)

母が自分らしく、納得のいく生活の質を維持できるように、私は母のEnd Of Lifeに、母のQOLを向上ないし維持させたいのです。それが、今の私にとって最も重要なミッションなのです。


私はどう在るか、どう生きるのか

母に美味しいものを食べさせて、快適に過ごせるように気遣い、手伝い、代行し、母が心地よく、穏やかに、楽しそうに、うれしそうにしている姿を見るのが私の喜びになっていますから、母に寄り添うことは私にとってのQOLの向上にも繋がっているといえるでしょう。

エンド・オブ・ライフケアは、これまでの人生から、これからどうしたいかを実現するために、今をどう生きるかを問うものである。亡くなっていく方だけではない、共に時を重ね、ともに生きた家族にとって「その人の最善」であることが重要である。大切な人を失っていく体験は、残されたその人自身の人生にとって「どのように生きるか」を学ぶ体験でもある。そうして生と死の体験が伝承され、人としてどうあるべきかを問い、意味づけることを重要とする考え方である。

エンド・オブ・ライフケアとは | エンド・オブ・ライフケアの考え方 | 千葉大学大学院 看護学研究科 エンド・オブ・ライフケア看護学 (chiba-u.jp)

母だけでなくともに生きている家族である私にとっても、母のエンドオブライフが私の人生の一部であることは言うまでもないことです。

母の生きる姿が、そして、やってくる母の死が、私にどのように息づくのか、それはまだ分かりませんし、分からなくていいことですね。今はただ、母の生と向き合う私の生を生きることだけで精一杯で、精一杯今を生きています。

母のエンドオブライフが私をより生かしているのだと感じています。

この夏まだ我が家と母の家を行ったり来たりしていた頃、我が家で寛いでいたねこ。現在ねこは母の家に戻り、母の家でのおこもり生活を満喫しています。やっぱり家が一番のようです。ねこのQOLも向上!

最後までお読みいただきありがとうございました。

今日は母のがんサバイブ150日目です。

冒頭で少し触れましたが、抗がん剤5クール目を前にして、ついに副作用が出てきました。それと同時に、初めて腫瘍マーカーの値が下がりました。

前回の診察までは、副作用が出ないことを喜んでいる母を横目に、内心、腫瘍マーカーの値が上がり続けていることにガックリ来ていた私でしたが、今回は副作用が出始めたことにやや気落ちする母を横目に、腫瘍マーカーの値が下がったことに喜ぶ私と、母と私の反応は逆転しました。

引き続き、抗がん剤の効果を最大限に受けながらも副作用が深刻化せず、母娘一緒に喜べる日が来ることを祈りつつ、母のQOLの向上に努めていきたいと思います。


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