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去年の暮れ辺りから3月頃までマンボウやら何やらの影響で、店からはガクッと客足が遠のいてしまいました。
いろいろな経済的支援も新規開業という事が常にネックになって不利になったり門前払いだったりして、精神的にかなりきつい日々がこの数ヶ月続いていました。
そんなことで何も書く気になれず、すっかり間が空いてしまいましたが、ようやく気分も回復してきました。

私がかなり追い詰められた精神状態になっていた事におそらく母は気づいていなかったと思います。

来なくていいと言っても店にくっついて来ていつの間にか自分の居場所を作ってしまい、そばで私を見てはいるけど何も見てはいないのでしょう。
いいのです。そんな事はわかっていた事。

でもさすがに、これはちょっとやばいなという気分になっていた2月のある日、あっけらかんと先に帰る後ろ姿を見て情けなくなって涙が出てきました。

被害者意識を持たないように注意はしている。自分で自分を被害者にしないように。
でもこんなのに育てられてきたんじゃ、まともな自我が育たないのは仕方ない。ずっと生きづらかったのは仕方ない。悔しいけど仕方ない。母が悪いわけでもない。母の母が悪いわけでもない。犯人なんかいないんだから。そして私が悪いわけでもない。誰も悪くない。

しかし、頭でわかってはいても感情は別だなと常々思うのです。この悔しさ、憎しみ、怒りがつらい。

こんな事を考えても仕方ないけど、もし、母がもっと相手の事を思いやれる余裕がある人間だったなら。周りに当たり散らしたりしない、自分の感情をしっかりとコントロールできる人間だったなら。不機嫌になる事で相手をコントロールするなんて事をしない人間だったなら。

きっと私たちは、お互いに自立した関係の健全な親子でいられただろうなとつい思ってしまうのです。

私は母を突き放す事がどうしてもできない。10数年前に父が亡くなって以降、口ではあれこれ言っていても、一人になりたくない、一人は寂しいからイヤだというのが母の本心だという事は手に取るようにわかります。その為に今だにあれこれと私をコントロールしている事も。

しかし、私も自分の人生にこれ以上母を介入させるわけにはいかないのです。あと何年生きるかわからないけど、これからは自分の為に生きていかなければ。

ね、お母さん。もう充分だよね。私これまでの人生のほとんどをあなたに起因する苦しみを取り除く事に費やしてきたよ。自分らしくのびのびと生きられたことなんてなかったよ。
あなたが自分の母親や夫に望んで満たされなかったものを私で満たそうとしてる事を、あなたは気づいていなくても私は気づいてるよ。そのおかげで私は物心ついてから子どもでいられた事がなかったよ。うちには大人の人間が一人もいなかったからね。問題から目を逸らす人間か、問題があるとも気づかない人間しかいなかったよね。

よく聞く話のように、私もラクになりたくて10代の終わり頃から自分を癒す方法を探して精神科に通ったりカウンセリングに通ったり、心理療法からスピリチュアルカウンセリングまであれこれ試してきました。

それぞれそれなりに効果はあり今まで何とか生きてこられたけど、時々激しく湧き上がってくる感情をどうしたらいいのかという問いに答えてくれるものはありませんでした。

それでも最近になって思うのは、客観的な視点を持つ事が何よりも大切だという事です。

noteはまだ始めたばかりですが、それでも数記事を書いただけで驚くほど自分の感情が穏やかになったのを感じます。何よりも効果的なカウンセリングかもしれません。じっくりじっくり自分の深い部分と対話し、できるだけ感情的にならないように、でも自分のために吐き出したい事は吐き出すようにしているのですから、カウンセリングのようになるのも不思議ではないのかもしれません。

ゆっくりしたペースではあるけれど、これからも母との関係を見つめて書いていきたいと思っています。











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