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仕事とワープロ、そしてPC

「社会人生活はじめる」でほろ苦社会人デビューについて書いたが、駆け出し社会人だった当時、写真を撮ることはあまりなかった。写真を撮るのが嫌いになったわけではないのだけれど、心に余裕がなかったせいかもしれない。その代わりといってはなんだが、仕事でワープロやPCを頻繁に使うようになった。広告部には富士通OASISというワープロがあり、上司に命じられて、気がつくと毎週企画書を作っていた。OASISは親指シフトという富士通独自のキー配列だったが、自分はローマ字入力を覚えて使った。やがて、文字だけでなく、円グラフを挿入したり、企画書の体裁を整える技も習得していき、見栄えの良い企画書で案件がとれると嬉しかった。また、広告部にはPC-9801もあったが、見本誌発送のラベル印刷データを誤って消去したのは、このPC上でのトラブルだ。宛先データは5インチフロッピーに保存されており、先輩がBASICで組んだプログラムで条件設定して出力したものを印刷していたのだが、私が誤ったコマンドを走らせてデータを消去してしまう。なんと、バックアップは取られていなかったことから、宛先をすべて手書きしたのは以前書いた通り。これを機に、見本誌発送プログラムを業者に発注し、バックアップも定期保存されるように改善される。

「キーボード・マガジン」に配属された当時のわたし。
売り買いのコーナーの読み合わせをしている写真かと思われる。

PC-9801を初めて操作した経験は、痛い想い出となったわけだが、身の程知らずにもPCに苦手意識は持たなかった。それどころか、文章作成専用のワープロに比べ、アプリケーションを読み込ませることで、さまざまな用途に使えるパーソナル・コンピューター(以下PC)に、むしろ魅力と可能性を感じるようになっていく。
入社3年目、月刊誌「キーボード・マガジン」へ異動すると、PCの利用頻度は格段に増えていく。その頃は手書き変更→手動写植による組版から、データ入稿→電産写植組版へ印刷所の仕組みは移行している時代、労働集約型(と感じた)雑誌編集という仕事を覚える中で、PCによる情報処理は私には希望の光だった。安月給だが無理してEPSONのPC-9801の互換機を購入し、「月刊アスキー」「MACLIFE」などPC関連雑誌も読み漁る。パソコン通信を使っている著者からは原稿データを通信でもらい、自らの月次労働時間の短縮に向け、さまざまな試みをした。PCで音楽を作ることも広まり始めたこの頃、読者の需要が増えると感じ、DTM(デスクトップミュージック)の連載企画を編集会議で提案し担当させてもらう。学生の頃、カセットMTRを使って音源制作をしたことも参考になった。ただ、音楽好きだがパソコン好きだったわけではなく、PCはあくまで手段としてのめり込んでいただけだが、私のPCに対する熱量は社内で評判になる。この評判が、当初自分が目指していたものとは少し違う方向に私を導いていくことになるとは、その時は思いもよらなかった。

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