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社会人生活はじまる

無事大学を卒業し、社会人一年目、音楽出版社に就職した私は広告営業の部署に配属された。いつかは音楽雑誌の編集をしたい、そんな夢を持って社会人生活をスタートしたが、行手にはたくさんの試練が待ってた。配属され、まず任されたのは、新規事業としてスタートしたビデオ雑誌とムックの広告営業だ。今から思えば、ビデオデッキやカメラが普及しはじめ、ビデオレンタル店が各地にできつつある時代、そこにビジネスチャンスを見出し取り組むのは企業として当たり前の話で、その一端を任されたのだからありがたい話だったと思う。しかし、大学生活の4年間をバンド三昧で過ごし、世間知らずの新米は、編集どころか音楽雑誌の広告にすら関われないことでしょんぼりしていた。そして、テレアポと飛び込み営業の日々は続くが、3ヶ月が経っても広告はひとつも取れなかった。音楽雑誌の編集に配属され日々仕事を覚えイキイキと仕事をしている同期2人を側で見ながら、プレッシャーに押しつぶされそうになり、悩み苦しむ日々が続いた。

そんな未熟者の私だったが、広告部の上司や同期Kさん、Mさん、広告同僚の当時アルバイトふたりなど、たくさんの人に助けてもらった。クライアントに発送する見本誌のラベル印刷データを誤って消去してしまい300以上の宛先を手書きしなければならなかったとき、アルバイトのTくん(タイトル写真、私の隣に写っている彼だが、当時はこんなに痩せていたw)とGくんは嫌な顔ひとつせず快く手伝ってくれた。入社一年目の納会ライブ(この会社の忘年会はライブだった)では同期入社8人で「どんばじんしん」というバンドを組み出演して盛り上がり、打ち上げでお互いの悩みや夢を語り合った。給料安いから(ごめん、でも事実)お金はないし、先輩は飲み会に誘うけど絶対割り勘だし(ごめん、これも事実)、経済的には非常に厳しかったが、いい仲間に巡り会えたことを感謝している。

入社何年目かの社員旅行でW先輩から小林旭を歌えとふられ熱唱した♪

めげずに頑張って、半年くらいが経った頃、なんのコネクションもないところに飛び込んで営業していた家電メーカー2社の広告を新規で受注した。部長は大金星だと褒めてくれたが、正直、とれるなんて期待されてないんだろうっと憂がっていた。だが、不貞腐れず続けたことで報われた。結局、広告の仕事は入社から3年半続けたが、ようやく念願の編集部への異動が決まる。この時、大学生の頃、飲んでいる父の頼まれて車を運転して向かいに行ったスナックのママが、お客さんに言っていた言葉を思い出した。

「息子さん、来年から社会人ですか。まあ、入社しても3年は会社に食べさせてもらう立場、それから先が売上に貢献する仕事ができるっていいますからね。焦らないで頑張れば大丈夫ですよ」

思えば小さい頃から先生や大人の話を聞くのが好きだった。物心つくと、説教くさいとか、先輩風とか、そういう話を年上から聞くのを嫌がるようになる人は少なくないと思うが、自分は人の話を聞くことは今でも好きだ。異動を言い渡された入社3年目に見た景色に、大人から聞いた話が腑に落ちた。


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