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自分では気づきにくい感覚の特異性

感覚過敏の子どもたちにとって学校はうるさい、わかりにくい場所かもしれません。感覚とわかりやすさへの配慮を学校の現場でももっと丁寧におこなうと楽に行けるようになる子どもは多いと思います。ベースは静かに、シンプルして、時と場所に合わせて様々な刺激を選んで取り入れられるような工夫が必要なのではないでしょうか?

聴覚過敏とはどのような体験なのか?


自閉スペクトラム症で聴覚過敏をもつ方は多いです。6割ともそれ以上とも言われています。

街角でながれるちょっと耳にした音楽はちょっと聞いただけで再現できたり、和音などのズレが非常に気になったりする人もいます。

その一方で、会話は本当に静かな場所で一対一でやるのがやっとで、複数人の会話になったり、同じ空間で他の人が話している場面だと聞き分けられなくなったりします。

自分に関係のない情報だけシャットアウトして、必要な情報だけ抽出して絞り込むカクテルパーティー効果が働きにくいのです。

常に慣れない外国語のヒアリングをしているような、あるいはひどい品質のスピーカーで音がこもっているように聞こえるような体験でしょう。

自閉スペクトラム症の方は、外部からの刺激の中のノイズを不要なものとしてカットして「違うものを同じ」ものとして認知する脳の働きが作動しにくいのです。

だから声のトーンやかわると聞き取れなくなったり、フォントがかわると読めなくなったり、髪型がかわると同じ人だと認識できなくなったりすることがあるのもそのためです。そのかわり他の人がノイズとして捨象してしまうものを拾い他の人が気づかないことに気づいたりします。
必然的に世界の区切り方、感じ方、とらえ方もユニークなものになります。

こう考えると、意味のある言葉だけをリアルタイムにとらえ、それを頭の中で並べて理解するという音声言語でのやりとりプロセスが楽に出来ないのもわかります。
また視覚的提示、筆談などが重要なことが理解いただけるとおもいます。


うるさすぎる日本の学校

実は私にも聴覚過敏が少々あります。

疲れてくるとカクテルパーティー効果が効かなくなり、ますます疲れてしまいます。複数のグループが同じ場所で話しているような場面では話している人と聞き取るのが少々大変です。

大人になってから仕事で小学校や特別支援学校に行くと学校はとてもうるさい場所であることに気づきます。

特にこう感じるのは、大人になってからは普段自分で楽な場所を選んだり、必要時は耳栓やイヤホンなどのツールを日常的につかったりしているからかもしれません。

授業の時間中でも、他のクラスの音楽の授業の音が聞こえたりします。
給食の時間も放送委員会がクイズの放送を流したり、歯磨きも音楽に合わせてやっていたりします。

一人で静かに食べたいひともいるでしょう。

しかし、このような感覚の得意性を子どもが自分では気づくのは難しいです。他の子どもたちもみんなも自分と同様に苦しい中我慢しているとおもっており、自周囲にも気づかれずストレスを貯めています。よしんば気づいて主張できたとしても、なかなか理解されず、選ぶこともできない・。
わがままのようにとらえられたりもします。

感覚に関して全体の、個別の配慮を


長野県は音楽会などの学校行事も盛んですが、音楽が「音が苦」になってしまっている子どもがいます。
そのために不登校になってしまったりというケースもあります。

せめて、さまざまな授業や行事なども参加の仕方や距離が選べたり、せめて耳栓やイヤマフなどは手元に置いておいて、必要な人が必要な時には自由に使えるようにしてもらいたいなと思います。

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デジタル耳栓やノイズキャンセリングヘッドフォン、イヤホンなども進化しています。特定の音域を調整する機能のついた集音器、補聴器なども出来てきているようですが、まだ医療機器として使えるようにはなっていないようです。今後、眼鏡のように調整して使えるようになるかと思います。

感覚過敏が訓練によって慣れるということはないようですが、一つの感覚の過敏などが調整されると他の感覚の過敏や過鈍にも変化がでて出来なかったことが出来るようになったりします。

聴覚過敏にたいしての補聴器を調整したら、フードコートに出かけられたりアルバイトが出来るようになった若者もいました。

学校側も個別で一人で静かにお昼が食べられる場所を用意したりという高校もあるようです。リラックスルームやカームダウンスペースを設けてくれる学校も増えてきましたし、特別支援学校などにはスヌーズレンやセンサリールームなどの様々な感覚に浸れるがあるところもあります。

社会でも映画館で音を調整したセンサリーフレンドリー上映や、ショッピングセンターなどの音楽や照明を落としたクワイエットアワーなどの取り組みも進んできています。

たまたま集まった地域の子どもたちを集めた、逃げ場のない学校で選べない状態で、なかなかかえることの出来ない感覚特性に対して無用なガマンを強いる意味は全くありません。

学校の現場こそ、子どもたちの声を丁寧に聞き、外部の支援者や成人当事者とともにアセスメントをすすめ、感覚への配慮、ユニバーサルデザインと合理的配慮を両面からすすめ、インクルーシブな場の見本になってほしいと思います。

(今回は主に聴覚に関して述べましたが、視覚や嗅覚、味覚、触覚、固有受容覚、内部感覚などの感覚の特異性に関しても同様です。次は自分では気づきにくい刺激追求の特異性について書くかな・・。)




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