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遊べない人は働けない?余暇活動やサークルって本当に大事

 そろそろ、自分も次のステージに進むタイミングだと思うので、ここで自分のルーツと、これからやりたいことをあらためてまとめてみたいとおもいます。独り言みたいなものですのでノークレームでお願いします。

趣味人としての生き方を核に

 私は基本的には趣味人で、他人に期待することも期待されることも苦手です。引きこもって一人で過ごしたい時期と、人と交わり活動していたい時期が交互にきます。困っている人がいると基本的には見過ごせず放置できない性格です。自分の脳のタイプからくるものもあるのでしょうが、レールに沿って生きたり、計画的にやるというよりは、頼まれたことで出来ることをやる中で流されて展開していく生き方になってます。
 いよいよ困らなければ、お金や世俗的な成功にはあまり興味がありません。人間関係も実はわりとあっさりした感じを好みます。

 自分のペースやこだわりはなかなか崩せません。他人にあわせてしばられる感じになるとどうにも苦しくなって、その後必ずうつになるんです。無理はしませんが、もし興味や志向性が重なる方で、一緒にやれる部分があるなーと思う方はぜひご一緒に。

流れされて児童発達の分野の星に

 医療の分野の中でも、リハビリテーション、在宅医療、精神医療などいろいろ点々としてきましたが、今は子どものこころや育ちに関わるようになりました。自分の子どもも含め、いろんな可能性を秘めた子どもたち、そして子育てを通じて成長する親たち、そしてそれを支援する人たちにそっと伴走する仕事のがメインとなっています。

 診療の場面では多数派の中で苦労している一癖も二癖もある少年や青年に合うことが多いです。もっとも今の時代なら自分も児童精神科などにお世話になっていたかもしれませんね。

 子どもの発達って本当に面白いなあとおもいます。とくに思春期〜青年期の変化は素晴らしい。苦労してきた子どもや若者が親から離れて自立を果たしていく過程をみるとこちらも嬉しくなります。

 ただ様々な事情で、なかなかのびのびと育つ環境が得られない子どもたちをみると心が痛くなります。だれもがのびのび育ちのびのび生きられる社会を実現していきたいですね。

飽きっぽい私の余暇活動遍歴

 四国の地方都市(高松市)で育った子ども時代。工作やマンガを書いたりするのが好きでした。1999年の人類滅亡を本気で恐れ、地球環境問題にハマり、一時はグレタさんみたいになっていた少年でした。

 生意気なクソガキだったんでしょうね。小学校の頃は友だち関係でいじめられたり、気難しい先生にあたったこともありましたが、個性的な先生との出会いもあり、さほどひねくれずに生き延びました。

 中学1年のときに友人にさそわれたので家族の心配などもおしきり、一年だけ野球部に入らせてもらったこともありましたが、ボールをまっすぐ投げられず、「やっぱり違いました、すみません」と2年生からは結局マイコン部とクイズ研究会(自主サークル)に落ち着きました。まあ、野球部もそれなりに楽しかったのですけどキャラがちがいましたね。

 マイコン部ではパソコン(N88Basicでした)でゲームなどをプログラミングしたりしてました。どこにも天才的な人はいるもので、同学年にぷよぷよやストⅡを移植したりするやつもいてすごいなあと思いました。
 またクイズブームのころで、休み時間はクイズばかりやっていてTV局が主催するクイズ大会の予選に仲間とででかけたりしました。今はアメリカ横断ウルトラクイズもなくなってしまいましたし、高校生クイズも雰囲気かわっちゃいましたけど。
 あとは、ちょうどストリートファイターⅡを始めとした格闘ゲームが流行っていた頃で学校帰り、特に試験が終わると友人たちとゲーセンに行くのが楽しみでした。

 今思うと、祖父母も趣味に生きていたような人で、親もそれぞれ好きなことをして好き勝手生きていたので人で、あまり干渉はされませんでした。祖母は双方とも、日本画、洋画、お茶、習字、アートフラワー、レース編み、いろいろやってたし、祖父も焼き物とかやってたなあ・・。 

 たまたま県外の京都の進学校に受かり、自分も高校時代から寮を経て一人暮らしで家をでていたので、親との関係はあっさりしていたと思います。高校時代はあっという間でしたが、勢いと思いつきで友人たちと4人でママチャリで琵琶湖を一周したりしました。進学校なのでナチュラルに相当頭のいいヤツもいて、すごいやつもいるもんだなと思いました。一方でホストとかやっているやつもいたり。

 医者が多い家系だったので、建築家になりたいとか思ったこともあったのですが、そこまでのイメージももてなかったので、一浪して素直に医学部に進学しました。人の命をあずかる医者になるという自信はずっとなかったです。
 大学は雪の降るところに住んでみたかったのと、できるだけ実家から遠くの総合大学をということで北海道大学にいきました。似たような志向性というか、どの学部も内地から選んで進学してきた人たちはちょっと変わった似たようなやつが多かったです。
大学の周辺に学生が集住している感じが面白かったですね。

趣味やサークル活動はホント大事

 サークルは全学(いろんな学部や他大学の参加者もある)の「天文同好会」というサークルに所属しました。まあ、別にどこでもよかったのですが、小学生の高学年の頃だとおもいますが、市民文化センターの主催する天文教室に毎月通い、写真をとったり、講義を聞いたり、星を見にいったりという経験があったので入りやすかったです。

 自然が好きだったのであちこちに行けるのと、サブカルも好きな人も多かったということだったのでとてもフィットしました。BOXと呼ばれるサークルごとのたまり場にはいろんな学部の先輩なんかがたまっていて誰かがいました。大学祭は学校あげて3日かん24時間営業でサークルや部、クラスごとなどで模擬店を出して大学に泊まり飲んだくれるお祭りでした。今は、BOXもなくなっちゃってなんかお祭りも24時間じゃなくなっているみたいですね。寂しい限りです。

 大学祭や合宿の企画、農村部の公民館で子どもたちをよんでの星を見る会の開催など、いろんなことを学ばせてもらいました。ある先輩は子どもにナチュラルにかかわれて大人気ですごいと思いました。

 サークルには趣味人が多く、マンガやゲーム、アニメ、麻雀、カラオケ、写真、映画、キャンプ、スキー、飲み会、夏山登山、野鳥、植物、雪まつり、放浪、自転車旅行、電車旅行、サークルとしてのバイトなど、趣味やさまざまな経験をおすそ分けしてもらい、この時期にたくさん遊んだことが自分の根っこになっている気がします。

 ところで医学部というところは伝統的、全国的に運動部がやたら盛んなところで、どこかに所属していないと必要な情報が入りにくいということがあり、多くの人が運動部に所属します。昔はどの部に入るかが、その後の進路(どの科に行くか)など、医局の選択にもつながったりしていたようです。今は違うのかもしれませんが。

 その中で一番楽そうな週1回、温水プールにつかって、くっちゃべるようなサークル的な水泳部に入ってみたのですが、国体に出た後輩がはいってきてバリバリの体育会系に変えてしまったため行きづらくなり、辞めてしまいました。競い合わず、ただだらだら泳ぐのは好きだったんですけどね。

 他には医療問題研究会っていう社会的なサークルに誘われて、3週間ほどタイに医療や障害福祉の現場にスタディツアーに行ったりもしました。実家から大学まで遠かったので長期休みのたびに、青春18切符やフェリー、テントを積んだ自転車などでいろんなルートをつかって帰省していました。

遊べない人は働けない?

 こうして振り返ると、特に大学時代、のびのびと試行錯誤させてもらったんだなあと思います。学生のノリのアホみたいな遊び方ってのも貴重ですね。「今から宗谷岬まで行くぞ〜」、「え〜?!」みたいな。

 以前、見学に行かせていただいた若者多い「ひだクリニック」の精神科ディケアでは、「遊べない人は働けない」というコンセプトで自分たちで企画をたてて遊ぶことを推奨していました。

 自分で選んで好きなことを仲間といろいろやる経験というのは実はとても大事なんだろうとお思います。

 だから、これからは不登校などあまり器用じゃない子どもや若者のマニアックな余暇活動の支援をして、経験や選択肢を増やせればいいなあとおもっています。

つづき→(梁山泊のような佐久病院へながれつく



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