17歳の夏には戻れないことを知っている。
17歳の夏には戻れないことを知っている。
皆さんにも、戻りたくとも戻れない夏はあるだろうか。私はある。17歳の、あの夏だ。
夏は不思議だ。その渦中はあんなにも鬱陶しく蒸し暑い中、いずれ訪れる冬を待ち焦がれ、願うのにいざ去ってしまうと途端にそのノスタルジックな美しさに、匂いに、どんなに願っても二度と戻れない儚さに気が付く。
手持ち花火が落ちるその瞬間の愛おしさに、大きな夕陽が照らす道の先で、ふと友人が振り返った時の屈曲の無い真っ直ぐな瞳のあまりの透明さに目を奪われたその瞬間も、一つ一つが濃く凝縮され、ひとつの夏へと納まる。
私は17歳が嫌いだった。
こんなことを言ったら、きっとひねくれていると言われるだろう。
だけど、「華のセブンティーン」だとか「17の夏」だとか。
そういう浮き足立った様な、陳腐な響きが大嫌いだった。
本当の17歳は、私は、そんな言葉とはまるでかけ離れていて、苦しくて微かに仄暗かった。どんなに背伸びしても結局自らの無力さや稚拙さを嫌でも知り、その度絶望していた。
それはまるで上手に空気の吸えない不器用な魚のようで、狭い水槽の中、藻掻けば藻掻くほど酸素が足りなくなってしまい、沈んでしまう。
ずっと溺れている、そんな感覚だった。
それなのに、世の大人がもうとっくの昔に過ぎた17歳という年齢に勝手な幻想を抱き、着色して一つの概念に縛り付けているような気がして怖かった。
自分はこんなに綺麗じゃない日々の中、苦しんでいるのに17歳の理想像ばかり照り、輝いて見えて恐ろしかった。
私は、早くこんな鬱屈した17歳なんか脱ぎ捨てて大人になりたかった。
校則に縛られ、まだ染められない黒髪も半袖から伸びる生白い腕も、蒸し暑さの繰り返しも早く過ぎて欲しかった。
この時の写真は丁度、そんな頃に撮ってもらった写真だった。
何になりたいのかも分からない、少し先の未来さえも見詰めるのがまだ怖くて、目を逸らしてしまう。
そんなあやふやな私を、カメラマンさんは正面から真っ直ぐに見据え、丁寧におさめてくれた。
夏の日差しは、その光の粒が想像以上に眩しくて、途中に寄った田舎の古いコンビニで買ったアイスを、溶けないように急いで口に運んだ。
まぁ、実際は半分溶けてしまって手に垂れてきたのだけれども、とてもひんやりとしていて、なんだか心地よかった。
車に揺られて覗いた窓から流れる緑の田んぼが目に優しかった。
「この場所、いい!」
身近なものから宝物を見つける事が得意なカメラマンさんと居るのが楽しかった。
「良い」と称された、何でもなかった風景が途端にうつくしい舞台へ変わる度に、見える世界が煌めきに満ちて、輝いて見えた。
肌にまとわりつく湿気を帯びた熱気も、辺り一体を包むセミの合唱も、全てがひとつの夏を熱心に作り上げているようにも見えた。
海は夢中だった。
ただただ夢中だった。
あれをやろう、これを撮ろう。
そんなの全て夏の大きすぎる波に呑み込まれるように忘れて、ただ無我夢中に遊んでいた。
たまに聞こえるシャッター音は心地の良いBGMと化し、私たちはスカートを翻した。脚で水を蹴った。
水の煌めく一瞬を逃さぬよう追いかけた。帰りのことなんか気にせず、思い切り髪を濡らして遊んだ。
前髪は女子学生のステータスのようなものだから、普段あれだけ気にして整えていたのにその前髪が分かれたとて、その時はまったく気にならなかった、どうでもよかった。
ただただ、この夏に揉まれ、全てを委ねて遊び尽くすことだけに夢中だった。
気が付いたらいつも頭の中に張り巡っていた不安や仄暗い感情も全て、この時にはまっさらだった。
17歳の本質なんて、実はこんなものなのかもしれない。
頭では小難しいことをいちいち並べ、ほんの小さなことでも神経質に手に取り、過大限に悩み傷付いていたけれど、たぶん私はまだまだそれくらい子供だった。
そして、きっとこれは本当の意味で子供でいられる最後の夏だったとも思う。
帰りの車で疲れ切った私たちは気付いたら車のBGMを聴きながら深い眠りに落ちていた。
ふと目が覚めると、「月が綺麗」と言って、カメラマンさんが月を見ていた。本当に美しかった。
真っ暗になった空を見て思った。夏の夜に映える田舎のコンビニの眩しさに目を細め、思った。駅まで送ってもらい、大きく手を振った後に思った。
きっとこの夏は一生忘れられず、一生のうちでいちばん鮮やかに、色濃く残るのだろう。
そして、一生この夏を越えられる夏は訪れない。そんな気がした。
2018年の夏の事だった。
あれからいくつかの夏を通り越し、ふとした瞬間にこの写真を見た時、私はとても驚いた。
あれだけ暗いと思っていたあの時期の自分も、日々も、こうして数年経って見てみると、あまりにもその瞳は純に光っていたから。
透明で真っ直ぐで、いまの自分にはもう二度と出せないほどに純だった。
切なかったけれど、改めて戻れないことを知った。
そして、戻れなくても、もう大丈夫だと思った。
それは、藻掻きながらも立派に、ちゃんと17歳を全うしていた事を私は知ったから。
だからもう、戻れなくても大丈夫だと思った。
あの日の夏の影に、セミの五月蝿さに、戻れないからこその、そのあまりの儚さに後ろ髪を引かれる時もある。
それでも私は、前を向こうと思う。
この日の写真を見る度、そうやって背中を押される。
だって、17歳の私に負けないくらい今の私だって、今この瞬間を懸命に生きなければいけないのだから。
あの夏に負けないように。
fin.
photo/ hamちゃん
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