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仕事辞めた話

1ヶ月に一時だけ、世界の孤独の皺寄せの波のような孤独に飲まれる時、日が陰る瞬間、本当に苦しくて苦しくて悲しくてどうしていいか分からない。
分からないから、洗濯機に顔を描いた。
私は昔から少しおかしい。
理科の教科書のフラスコに顔を書いたら隣の男子にキモって馬鹿にされた、私は昔から少しおかしい。

言いようの無い孤独が押し寄せては引いて、満ちて、平穏を求めて全てを遮断するタイミングと人工的な光がくるくる回るフロアで朝まで痛いぐらいの刺激を受けに行きたくなるタイミングと、どっちも自分で、訳わかんない。
本当は穏やかでいたいし、一人でいることに自信が持ちたい。
誰かといる事で生まれる孤独だってあるのに、それを誤魔化して人で自信を補っている。
本当は一人でも大丈夫だってこと、私がいちばん感じたい。


好きに囲われた小さな部屋、一番好き。
生きていて、自分が撮った中で最も気に行っている写真がある。
個展で使ったA3サイズを引っ張り出して、新しく壁に貼った。
自分で好きな物を作れることはすごく幸せなのかもしれない。
私の部屋が1番生きている作品。
一番好きだから一番隠したいし壊したいし見せたいし鍵を絞めたい。
さみしい。さみしい。さみしくて喘ぐ、だから京都で買った優しい甘みのお茶を淹れるね。私のために、もう来ない人を思って消えたくなる19時半、人はどうやってさみしいを爪でつぶすの。

3月に仕事を辞めた。
同期もみんな今はいなくなっちゃったみたい。

あの時の仕事は必要とされていなくて、朝8時から17時まで座っているだけで生きていくには十分なぐらいのお金が貰えた。
本当にちゃんと、お金を貰えた。ほとんど働いてないのに。

こまめん


暇だねーと、同期が隣でドラマをスマホで見ている。
時間の潰し方を一日中考えていた。仕事がなかったから。
すっごく、つらかった。1年間ずっと悩んでいた。
脳が溶ける感じがした。必要とされないのってすごくすごく辛い。
みんなの楽が、私には本当に辛かった。
本当に辛かった。

入社した時、覚悟を決めていた。
手も足も出ない圧倒的な忙殺で私の中途半端な個性なんて殺してほしかった。
本当にそう思ってた。
芽も出ない、意味もない自我は無駄なだけで、私は呆れるほどつまらなくて、女で、凡人で、さっさと少しだけ浮き上がった個性なんてもの死ねばいいと本気で思っていた。
早く凡人だってこと、もっともっと分からせたかった、自分に。
大嫌いな自分の生きづらさ、生きやすさ、私は本当に半熟の中途半端者で、早く全部諦めたかった。
言うほど生きづらくなんて無かったし、言うほど普通の面白いにも混ざれなくて、いつだって煮えきらず下校途中のアスファルトは揺らめいていた。

死ぬほど悩んだ。あれほど悩んだ事は人生であんまりないんじゃないかなと思う。
一年間、本当に悩んだ。三年はその道を極めようと思っていたから。
何者にもなれない、容姿もスキルも無い私が生きる道なんて普通になる以外ないから本当に建築の道で食べていこうって思ってた。
現場もヘルメットを被ってなるべく出たし、質問も沢山したし、山留め、アースドリル、アーク溶接、墨出し、嫌いな計算も図形も意味が分かるまで毎日考えて、施工管理技士2級の勉強もした。意味がわからなかったけど 笑

悩んで悩んで、性格が悪くなるぐらい好きな道で歩んでいく同世代が羨ましくて、何も出来ない自分を何度も何度も説得させた。
私は特別じゃない。私は特別じゃない。私は特別じゃない。私は特別じゃない。

茜ちゃん


まだ早い春前、ライブに行った時に大好きなAwichが
「失敗は成功のもと 本当に成功の反対にあるのは何にもやらないこと」
と言っていた。背中を押された。
同時期、下北沢の好きな本屋に行った時、穏やかに談笑するオーナーと客の中に入って、強ばっていた背中の線が解れた。
正社員や世間体に拘っていた自分の何かが少し抜けた。
正社員で居て学べたことが沢山沢山あるし、何一つ経験として無駄なことなんて無かった。
何も後悔してない。

冬の電車、東京駅から見える景色は無機質だった。
都会の高いビルから見える景色は、私にはそぐわなかった。
整った環境も、穏やかな上司も、つまんない毎日も議事録も、何も文句は無いのが文句だった。

12月に個展をやり切った時、全てが抜け落ちた感じがした。
なんかもう力が抜けてバランスが崩れた。
そこから職場の関係でコロコロ環境が変わって、現場が変わって、自律神経失調症とやらになって眠れなくなって通院した。
久し振りにゆっくりとした午前の春に傾きかけた光が穏やかなことを思い出した。

なんやかんやあって、今は家の近所のパン屋さんでバイトしてる。
ハイハイ社不ね(笑)心が弱いから、忍耐力がないから仕事即辞めたのね(笑)1年で仕事辞めるやつなんてどこも取ってくれないよ?転職は?正社員は?なんて説明する?
と、以前の私だったら思っていたけど、納得している。
選んだから、自分で。
腑に落ちたその先で今はあたらしい目標という芯があるから、責任は自分で持つから、納得している。
とやかく言う人がいるなら、私の生活を全て面倒見た上で言って欲しい。
私は自分で、自分の足で自分を支えて生きている。

パン屋の仕事は正社員をしていた頃よりも忙しくて、やることが常にあって、朝が早くて、早すぎて、お給料は半分以下になった。
なのに、私は満足している。
朝の5時に起きて、5時50分頃に1人でお店をオープンさせて、そこからずっと動きっぱなしな生活にとても納得している。
個人のお店の良さは、お店と逆の立場が同じところだと思う。
程よくラフで、程よく偉そうで、チェーン店とは違った味がある。
あまり謝らない。そのスタンスが私はとても気に入っている。

背中を丸めて無理に謝る大人の姿を18歳で初めてココスのバイトをした頃からどこの店舗でも見てきたけど、本当にこちらが悪くない限り、謝ることは無いと思う。
夫妻はお客さんが出ていった後すぐに思ったことを店内で口に出す。
お客さんがいない間(たまに居ても)平気ですぐ側の厨房で痴話喧嘩をしている。
そんな日常が、パンの香り高い(香り高い言葉って本当に美して好き)やわらかさに囲われた日々が、くすぐったくてねむいけどすごく気に入っている。
塩パンを並べる瞬間も、袋に詰めてクッキーを測りにかける瞬間も、リボンを綺麗に結んだ瞬間も、おばあちゃんにお釣りを渡す瞬間も、本当に全部、結構すき。

今までココスのバイトをした。マツキヨでも働いた。シャトレーゼでも働いて、パン屋さんでも働いて、ライブ配信者もやって見て、コンカフェでも働いて、子供写真館でも働いた。施工管理技士もやった。
思ったよりも色々やってるなぁ…
その上で大事なのはいつだって納得しなかったら逃げ出していいってこと、責任を自分が持っている限り、誰も何も言う権利はないと自分が知っているということ、
世間体は1つの価値観に過ぎず、自分には自分の落とし所があるということ、縛られちゃいけない。自分に嘘をついちゃいけない。
いつだって正解は、行動した先の自分の内側にある。
いつ逃げたってええんやで!!
何を選んだか、と同時に何を選ばなかったかという自分のキャパシティーを吟味した上での取捨選択ってとっても必要な気がする。

私は多分というか絶対に社会不適合だし、ダメな大人サイドだけど、自分に譲れないひとつの筋が通っている限り、私はいつだって大丈夫なんだと思う。
コンカフェで酔ったお客さんに「はぐみは結局大丈夫。いつだってちゃんと悩んで悩んで決めてるんだから、結局大丈夫。何もかも上手くいく」
って言われたこと、ずっと忘れない。嬉しくて。
酔っぱらいの戯言と言ってしまえばそうだけど、私が決めたことは悩んだ上でのちゃんとした価値観だから、きっと全部大丈夫。絶対に大丈夫。

書いてる間にさみしいが晴れあがって驚いた。
人には人の、さみしいの解消の仕方があるんだなあ


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