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私はもう被写体じゃないんだと思う

なんてタイトルにしていいかわからなくて、結局こういうタイトルになっちゃった
結論を言うと私はもう被写体じゃないんだと思う
被写体じゃない、と言うよりも被写体と名乗るには何か違うような、そんな。

困ったことに、あまりにも素直すぎる。自分が。
思ったこと、ひとつも嘘つけないや
びっくりするぐらい、私は難しそうに見えるかもしれないけど単純で、拍子抜けするぐらい簡単だし溶けやすくて混ざりやすい
だって発言していること、全て紛うことなく本音であって真実なんだもん。嘘つけないよね、自分にも、あなたにも。

Photo.かちゅーさん

2017年の10月から今まで、ずっと被写体として写真に生かされながら走り続けてきた。

でも逆を言うと、写真が無ければ生きていけなかった。
本当に。

写真の存在は、「被写体」でいられるという確かな居場所は、全て私自身の支えで私はそれが無ければ決して1人では立てなかったし生きていけなかった。
繰り返しそう思う。
どんなに全てが解体しても最後の拠り所は写真だった。
写ることは生きることで、存在意義も何もかも写真ありきだった。写真だけがあればそれで良かった。

photo ベガさん

心配させたし、迷惑かけたし、幸せだったのと同じくらい不安で傷つくことも辛いことも沢山あった。

それでも写真と共に被写体として過ごした日々は濃密で、どの1シーン1シーンとっても私は匂いまで克明には覚えている。本当だよ。貴重な青春時代、全てをあなたに費やしたから。


あの夏も、眠たげな春にも、秋の光の美しさにも
冬の朝日の透きとおる冷たさにも

世界の美しさを、その広さを、様々な光で持って多面的に与えてくれたのは全て写真のおかげだった。
私は、恋愛に夢中になる人と同じぐらいの熱量と狂気で写真に夢中だった。それが良い面と悪い面を同時に含むのと同じぐらい、写真に依存していたとも言えてしまうのかもね。

私は2018年の夏があまりにも強く眩しくて何度もそれを辿ろうとした。同じように指でなぞって手繰りせようとした。でも、違かった。
そんなの当たり前だ。同じ瞬間なんて、同じ光の強さなんて、色なんて、二度と巡り合わさない。

一瞬一瞬確実に世界は色を変える。形を変える。あなたを変える。私を変える。そんなの当然だ。

それなのに私はずっと変わることが恐ろしくて怖かった。
私が私で無くなることが怖くて
あなたがあなたの形を変えていくことが許せなくて
呪いみたいに過去の光を永遠に閉じ込めようとしていた。

photo のらさん

でも、やっと分かった。 
生きているということは、意味は、変容し続けられるという希望があるからだ。

私は人よりも確実に鮮明に過去を覚えている。
けれど、過去の光が1番強く輝く瞬間とはもうその立ち位置にはいないという自信と適切な距離が確立した瞬間からではないだろうか。


本当のことを言うと私はものすっっっっっっごく暗くて弱い人間で、人見知りだし内向的で人に受け容れられ易いとは言えない性格だ。
それなのに人の前では弱音を出せず強がるから尚更拗れるし、当然自信も低ければコンプレックスだって山ほどある。

それでも、大嫌いだった過去の自分を今は見返して、素直に「かわいいな」と思える力を携えることが出来た。

この「かわいい」というのは見た目云々よりも中身の話だ。幼くて稚拙で、それでも必死に足掻いていたあの頃の自分がとても純粋に愛おしいと思う、し受け入れて優しく抱いてあげたい。
今はそう思える。

始まりがあれば当然終わりがある。そんなの分かりきっていたことだけどずっと終わりのことを考えて恐ろしく思っていた。煮えきらずいつまでもうじうじと悩んでいた。

でも、本当の終わりは必要な時に訪れるからそれは全く悲しいことでは無いのだと私は知った。

大変残念ながら私はもう、自然に溶け込んで無我に微笑むことが、できないのだと思う。笑
きっと制服に身を包んでそこに立つことに、私の自我を芽生えさせてしまうと思う。
でもそれは、多分違う。
世間一般の被写体様や、モデル様方の価値観と比較しているのではなくて、それはあくまで私の中だけの美徳に反してしまうからだ。

photo きゅうびさん


私は、もうその立ち位置にはいない。
多分、考えてしまう。今まで少しずつ培ってきた考え方で、感じ方で。
ここに居て写る意味を、意図を、それがどう伝わっていくのかまで、計算高いほど鮮明に思考を張り巡らせて張り巡らせて、納得するまで正解を探し続けると思う。
そうなると、当然私の中の「少女像」とはズレてしまう。
私の中の「少女像」は無責任なほど無垢で無邪気で、儚くて振り返った瞬間、その姿は跡形もなく消えてしまう。

だから私はこの違和感は、その時代をちゃんと私の速度で通り過ぎたという勲章なのだと分かって嬉しかった。切なくて悲しくて、どうしようもなく嬉しかった。

願わくば、これからは「被写体」じゃなくて一人の自立した存在「育実」として、言葉に責任をもって発信していきたい。
私は育実としてアーティストになりたい。表現者になりたい。
今まであんなに弱かった私を支えて救ってくれた分、お返しをさせて欲しい。
今度は私があなたの光になりたいよ。
私があなたを救えるぐらい強い存在になりたい。

もちろん、写真に写るということは辞めようと思っても生きている限り不可抗力に近い程辞められるものじゃないから、私が選んだ時に必要な分だけ写ろうと思う。

でもそれはきちんと意図したもので、写ることに、発言に、全てに意志と責任を持とうと思う。
私は自立した大人なのだから。

photo 中村さん

時期的に進路のことでずっと悩んでいたけど、結果的に良い方に気がつけて良かったな。

私は今勉強している写真を、将来的には自分の発言や考え方を言葉以上に強く補ってくれるツールとして使えるようにしていきたいな、と思う。
でもそれはきっと一筋縄では行かないしまだまだ写真の道のりは目眩がするほど遠いから地道に経験を積んで、勉強し続けていくのだと思う。

言葉でも、最近始めた音楽でも、写真でも、私が愛する全ての力で育実としてあなたの希望になりたい。支えになりたい。力になりたい。私は私の光で、あなたを救わせて欲しい。

ここまでお話したらわかるかな、つまり被写体じゃなくなるという事は全然悲しいことなんかじゃなくて、私が次のステップに進めたという強い証なのだと思う。

私をここまで育てて温かく見守ってくれた皆様、本当にありがとう。
私と少しでも人生の貴重な時間、携わってくれた全ての皆様、本当にありがとう。
私は一人の自立した人間として立ち上がりたいです。

その為には、どんな辛いことも苦労も、挑戦して行きたいです。
だから、沢山色んなことに誘って欲しいしどうか私に機会をください。
私とまだ関わったことない人、少しでも興味のある人、なにか一緒に、まだ見ぬ新しいものを生み出しませんか?

私はまだこの身に自我を持って産まれたばかりです。
けれど、この世界が大切で愛おしいし、もっと良くなって欲しいと切に願っています。

被写体として産まれた育実は、あなた方のお陰できちんと綺麗に昇華できました。
どうか、第二の人生として生まれ変わった育実に力をお貸しください。

私はあなたの光になりたいです。




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