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【#17:子育て日記】自分が生きているうちに子に何を残すか

お久しぶりです、はぐくみです。
最新投稿から1ヶ月以上も経過していました。
お読みいただきありがとうございます。

半年の自分にとっての休養期間を終え、4月からはあちこちで働く日々。
長年、医療現場にいたので、病院以外の臨床もやりたいと思い、教育や児童福祉、学生のメンタルヘルスに関わる仕事まで、手広く始めることになりました。
いきなりこんなに始めても大丈夫か・・?と今から不安ですが😅。


悲しい話をするつもりはないけれど、
ずっと悲しい気持ちになっていたことがあって。

子どもたちの通うこども園の先生の話。
いつも笑顔で元気が良くて、はつらつとしていて。
朝玄関先でぐずったりけんかしたりする息子たちに上手に関わり、
助けてくれる先生。

ベリーショートの似合う、わたしよりちょっと年上のベテランの先生。

家も近所で同じ学区内に住んでいることもあり、ちょっとだけ距離が近くて、親近感のある先生。
先生の子どもたちも、息子たちをとっても可愛がってくれる。

急に4月から休職されました。
驚きと共に、ちょっと嫌な予感もしていた。

ある日、急にベリーショートカットになった。
それがずっと気になっていた。

私の嫌な予感は当たり、休職中に園に来ていたその先生と会い、
心配している旨を伝えると、正直に病気のことをおしえてくれた。

「また治療が必要なんです」「治療に終わりはないんです」

そんな大病を抱えていたとは全く思わせないような、
いつも笑顔で元気で、幸せそうなご家族に見えていた。

私の母も抗がん剤を必要とする治療をしていたから。
20年ほど前に亡くなったけど。
ベリーショートには敏感になっていた。

「ずっとウィッグだったのよね」
明るく話す先生の前で、お門違いに顔を歪ませる私。

そんな話をする横で、きょうだいじゃれあっている先生のお子さんたち。

先生はいつもの笑顔で言った。
「もう悲しむ時期は過ぎたんで!」と。
私も歪んだ笑顔で反応した。


しばらく動揺していた。やっぱりショックだった。
私とそう変わらない年齢の女性が、もしかしたら子どもたちとの時間が限られているかもしれないなんて。

私の家族はがん家系。両親もがん、親戚に多くの癌で亡くなった人がいる。

明日は我が身かもしれない、と思った。
私はこの先生のように、笑顔で強く明るく、家族と暮らしていけるのかな。

私は結婚してパートナーができてから、特に、子どもが生まれてから、
死ぬべき時まで、絶対に死んではいけないと思って生きている。
事故であっても病気であっても。
だから色々な検査も怠らない。
夫に、息子たちに、不必要な傷はつけたくないと思っている。

そんなことを頭の中で考えている目の前で、
息子たちは食卓でのマナーの悪さが目立つ。
次男は5分も座らずいなくなる。

夫が怒る。私が怒る時も。普段は。
ただ、

私がいなくなった時に、この子たちに残せるものは何か?

どこへ行っても恥ずかしくないような食事のマナーをしつけるべきか。
(つまり、両親の怒りや苛立ちが伴う)

しつけは二の次で、毎日少しでも多く、
家族で食事を摂れる幸せを積み重ねていくべきか。
(つまり、子どもたちのだらしなさに目をつぶる)

そんな極論ではないのはわかっている。
叱らずに楽しくマナーを学び、楽しい食事を摂ればいい話。

だけど、ついつい尊い自分の命、家族の命のことを忘れて
日常、雑に怒ってしまうこともある。

生きているだけで丸もうけ。

それを忘れないようにしたいと思った。
そして、私がいなくなった時に、男3人で助け合いながら生きることができる力と信頼関係は、残しておきたいと思った。


久しぶりの投稿なのに、しんみりしてしまいました。
でも、こうした気持ちも、慌ただしい日常の中で流れてしまいやすい。

いつまでも立ち戻れるように、Noteに書かせてもらいました。
最後までお読みいただきありがとうございました😌。



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