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はじめに。ホラーが苦手だけれど惹かれるという話

夏が来る。
残酷なまでに強くなりすぎる太陽の光を人は恐ろしい話を見聞きすることで冷や汗をかき、体温を下げやり過ごそうとする。
ホラーの季節である。

怖がりは普段どんなことに怖がっているのか

人によってどんなことに、じわり、と削られながら過ごしているのかは違うと思う。
私の場合は、ふすまや布団の隙間や机の下から。
白い顔が、手が、裸足が、重さを感じさせずに現れる日が来たら嫌だなと警戒している。物理で勝てる気がしない。
まだ風呂に入っていない状態でそのイメージが追いかけてきたことに気付く瞬間は最悪である。
この「なにか現れそうでイヤ」という気持ちは常にうっすらとあるのだが、それを思い起こさせる番組が夏に多くなるという話で一年中を通して怖い。

noteを始めた目的→漫画制作のため

筆者は上に記した様に常時淡く恐れを感じている兼業漫画家で
映画館でホラー映画を見たり、積極的には近寄らない。
普段描いている漫画も現実的で、ほのぼのとしたものだ。

ここで、妖怪の話をする。
私の中でホラー作品と妖怪は違うものだと考えてはいるのだが、
一旦乱暴に同列に書かせて頂くことを許してほしい。

「風呂桶掃除をさぼれば「あかなめ」が出る」
といった、生活の中に想像上の生き物を創り出し共存していた洒落っ気を魅力的に感じるし、その妖怪変化の噂話が都市伝説に変わっていき、対象がスマホやエレベーターなど近代のアイテムに代わっていく様は大変面白い。

その昔は世界各地で自然災害を神の怒りと呼び、生贄を捧げてきた。
古代メキシコ展を見に行った時、ひたすら生贄の数が記されたキャプションが続き圧倒された。
個人的にはトラロク神の壺を見に行ったのだが、愛らしい壺を作った職人は
生贄にならずに済んだのか気になった。
生贄、生贄、という言葉が並ぶ中、こんな世界で試行錯誤して美しいアクセサリーを生み出すパワーに痺れた。

人はいつでも自分達の力ではどうにもできない不条理に、神や妖怪や、化け物の名前をつけて恐れ、時には避け、時には克服しようとしたり、共存しようとしてきた、そして全力で生きた。そんな気持ちを感じるのが好きだ。
恐れを描き、それに相対する人間を見るのが好きだ。

それは時折ホラー作品で味わうことが出来るので、
怖くて深く近寄れないと感じながらとても魅力的にも感じている。

このような作品になる前の気持ちの備忘録を気楽に記録してみてもいいかもなと思い、書いてみることにした。

大変不勉強な身で間違えたことも書いてしまうと思う。
何かあれば教えてやってほしい。

次回は

怖がりが考える「ホラーは分からないから恐ろしいが、分からないと怖くなくなる」という話

について書いてみたい。
色々とノルマをクリアした日にまた遊びに来ます。

織田千代








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