チュパカブラ

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また私の音楽の話です。 リバイバルされたハードコアシーンと並行して聴いてたのは地方の土着的な音楽かもしれない、大阪・京都がキーポイントに影響受けた。 00年代(俗にいうテン世代)幸か不幸か私が追いかけてた音楽シーンは何週もしていて飽和状態にあったかもしれない(決して否定的な話では無い)20年も時代が進めば音楽シーンもある程度整地されるし耕されるだろう。 そんな中、オシリペンペンズが今は無きタワーレコード心斎橋店(今はまんだけかな)店内で行われた記録インストアライブVHS

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      またサボってしまった(典型的なO型マイペースなザルニンゲンなのですゴメンなさい) ハードコアへの目覚めから勝手に振り返る。 少し前後すると小さい頃から"音楽"が日常的にあった、車で聴くFMの今週のレコメンドは好きな記憶がある。 自主的に聴くようになったのはブルーハーツがきっかけだった、勿論リアルタイムでは無い。 ソフィアの松岡さん好きで姉が観ていた「人にやさしく」というテレビドラマがターニングポイントだった、複雑な家庭環境で育った3人の成人男性と子供(須賀健太くん)の日常を

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        「耳を塞いでる時だけ自分の心の拠り所」 誇れる事ではないけど、今の日常でもほとんどブレてない(ツイッターで生死確認のように時折♡くれる人は勝手に近似感がある) この頃とにかく家に帰ることが億劫だった事は覚えてる。週1回ぐらい狭い借家に夜遅く帰ってくる父親と母親が毎回喧嘩をする度に逃げる場所が無く絡まったイヤフォンの音量を最大にして耳に入ってこないようにしていた。 ある日のいつもの大喧嘩の末、深夜に寝ぼけてる私の首根っこを掴んで車の助手席に無理矢理乗せ震える手でシートベル

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          無事中学への進学が決まった。 ヤンキー学校へ行かなくていい安堵感と併せて猛烈な不安に苛まされた、小6という多感な時期にここまで人に受け入れられないという疎外感から孤独に陥った。 家に居ても家族仲は幼少の頃から悪く、自分の部屋も無く家でもずっと愛想笑いをしていたので、特段居場所は無く来る日も来る日も親の喧嘩話に苦笑いしてた記憶しか無い。 京都=お寺のイメージは深いでしょうか。 学校も同じで特段仏教を信仰する割合は圧倒的に多かった(8:2ぐらいかな) 今でこそ悪しき文化は無く

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          はじめまして。 永くフォローして下さってる方は、重々ご承知だと思いますが、昭和の記憶を辿って文字に残せたらと始めてみました。 昭和生まれといっても、写ルンです画質の幼少期の写真を振り返る限り殆ど記憶がない(お前ディズニーランドいってるやんけ!) まず私には2つ歳上の大好きな姉がいる。 姉にはとにかく影響を受けた、無理強いではなく姉が着てる服や聴いてる音楽がとにかくカッコよく見えて実際にカッコ良かった。その頃に「似合うんちゃう?」って言われた服は未だに着ている(久しぶりに会