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無事中学への進学が決まった。
ヤンキー学校へ行かなくていい安堵感と併せて猛烈な不安に苛まされた、小6という多感な時期にここまで人に受け入れられないという疎外感から孤独に陥った。
家に居ても家族仲は幼少の頃から悪く、自分の部屋も無く家でもずっと愛想笑いをしていたので、特段居場所は無く来る日も来る日も親の喧嘩話に苦笑いしてた記憶しか無い。

京都=お寺のイメージは深いでしょうか。
学校も同じで特段仏教を信仰する割合は圧倒的に多かった(8:2ぐらいかな)

今でこそ悪しき文化は無くなったらしいが、入学式の前に一泊二日のレクリエーションがあった。入学式の前に交流を深めてより良いキャンパスライフを送れるようと学校の配慮だろう、まぁまぁ地獄。

朝5時前に起きて正座で念仏を唱える時間・食事は精進料理で黙って食べる・後は雑巾掛けしてた記憶しかない、何も悪いことしてないのに一生分足が痺れるほど正座したと思う。

ここまでの経験を強要されると、見知らぬ者同士が集まっても自ずと仲良くなる。厳密に言うと傷を共有し合ってた、今でも困ったことがあると相談に乗ってくれる友ばかりで、今でこそ感謝の気持ちの方が大きい。

世間への絶望感と関心の無さはこの頃から持ってたのかもしれない、寝ても覚めても真っ暗闇。

闇雲な中学生活の中で中2の頃に姉からTSUTAYAのカードを借りた。姉は高校でバイトして次から次へと服を買ってオシャマさんやった、憧れの存在やった。

通学途中の出町柳TSUTAYAでなんとなく良さげなCDを借りた記憶は今でも思い出せる。
失敗は許されないと思い、五感を研ぎ澄まして借りた記憶がある(要らぬジャケ買いのセンスに活きるのか…)
家に帰って借りたCDを再生すると、居場所はここだって思った。世間には認められないけど自分が認められる居心地いい場所。

耳を塞いでる時だけ自分の心の拠り所、そんな安心感があった。











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