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「耳を塞いでる時だけ自分の心の拠り所」

誇れる事ではないけど、今の日常でもほとんどブレてない(ツイッターで生死確認のように時折♡くれる人は勝手に近似感がある)

この頃とにかく家に帰ることが億劫だった事は覚えてる。週1回ぐらい狭い借家に夜遅く帰ってくる父親と母親が毎回喧嘩をする度に逃げる場所が無く絡まったイヤフォンの音量を最大にして耳に入ってこないようにしていた。

ある日のいつもの大喧嘩の末、深夜に寝ぼけてる私の首根っこを掴んで車の助手席に無理矢理乗せ震える手でシートベルトを付ける傍に包丁を持ってた母は当時思いつめてて、今で言うと毒親なのかしら。

とにかく家で居場所が無くて家→学校→TSUTAYA→家の生活を過ごしていた。

この頃同じ京都でも西院という、自転車があれば繁華街の四条河原町へも行ける右京区と中京区の境目に引越した。

この町にも幸いTSUTAYAがあった、最早心の拠り所になった。知らないCDが沢山レンタルコーナーにあり借りに借りた。
10年後に知るのだが、音楽関係の仕事をしていた頃、OTOTOYの方と話す機会がありバイヤーとして働いていたらしい。

だだっ広い二階がレンタルコーナー、一階がセルコーナー。今思えば絶対OTOTOYの方のコーナーだろう、眼を伏せたくなるようなアートワークがズラリと並んでいた。勿論レンタルコーナーには無いCDばかりだった。

この頃月一度のお小遣いを一枚のCDに全ベットする事を覚えた。全ベットするからにはそれなりの神経を遣う、だって次は31日後なんだもん。

今でも手元にあるけどJOJO広重さんのking of noiseは全く理解できない、良くも悪くもこれも経験だ。

不思議と翌月を待ちびて、30日間ノイズ音を聴いてると脳みそのシワが歪んで何でも受け入れる体質になった、そこから"日時のノイズ"を打ち消してくれるハードコアにドップリはまった。





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