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はじめまして。
永くフォローして下さってる方は、重々ご承知だと思いますが、昭和の記憶を辿って文字に残せたらと始めてみました。

昭和生まれといっても、写ルンです画質の幼少期の写真を振り返る限り殆ど記憶がない(お前ディズニーランドいってるやんけ!)

まず私には2つ歳上の大好きな姉がいる。
姉にはとにかく影響を受けた、無理強いではなく姉が着てる服や聴いてる音楽がとにかくカッコよく見えて実際にカッコ良かった。その頃に「似合うんちゃう?」って言われた服は未だに着ている(久しぶりに会ったら当人は覚えてなかった)

・記憶を幼少期から(時を戻そう)
京都駅近くの東九条という地域で産まれ育った。
大阪の俗に言うコリアンタウンのような商いと人情に溢れた活気溢れた地域では無く、ひたすら陰険な年中梅雨みたいな空気感があった。
「また〇〇の革靴屋さん放火されたんやて」
「えー何回目なん?かなんな」
みたいな会話を3回ぐらい聞いたと思う(今思えば革靴屋はフェニックス)

8歳ぐらいまで住んだかな、親が転勤族で小学校を3つ行った事が後々響くことになる。

突然ですが京都の天橋立って知ってますか?そのまま観ても絶景かなの景色を股のぞきをすることで、天と地が逆さになり、龍が天へ舞い上がる様に見える「飛龍観」どっちでも絶景かな。
「へー絶景かな!でええのに何でまた股から…」
そこから更に奥へ1時間ぐらい車を走らせた港町で2年間暮らした。

伊根って港町、今では日本のベネチアと呼ばれて商業としても成り立ってて、最近では海外からの観光客も多いらしい。一家に一船、海に隣接した家に船が隣接してる家がそもそも特殊な造り「今日凪やでほな漁行こかブルーンみたいな」造り。少しでも気になったら「伊根 舟谷」でググってください街が綺麗・ご飯が美味しい。ジャンプは水曜日くらいに届くゆったり感。

学校は1クラス10人も満たないところに転校生って珍しいんですよね、多分この頃はまだ純朴だ…疑うな!すぐに友達か出来てた…が!!
同じ京都なのに言葉全く通じない!通じない!
例:「さっさなつべやんと」
さっさとは早くか、「なつべる」?
答えは片付ける意らしい、他にも沢山あったけどクセが強すぎて覚えてない。
今でも素潜りで耳抜き出来る事や、魚が捌けるのはこの町に居た経験が大きいと思う。

・12歳でまた転校、転校は3回目で慣れっこ♪
結論から言うと小6で転校は酷だ、卒業アルバムは真っ先に小学校のから捨てた。
初めての転校を経験した時のチヤホヤされる事に私は浮かれていた、都会の子供はリアルだ。稲中とシガテラぐらい違う、田中も居ないし死んだ眼の中で膜だけギラギラしたよそ者と選別されてるような気がした実際に友達も出来なかったし全く思い出せない。

また校区の進学予定の中学校はヤンキーばかりしか居なく親から私立の話を受けた、今は知らないけど京都は他県と違って公立より私立が幅を効かせてたと思う(全く親泣かせ)
学習塾で来る日も来る日も缶詰で勉強した、志望校には及ばなかったけど進学が決まり何とかヤンキー化への道は途絶えた。

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