見出し画像

noteを4週間続けて気づいたこと。「やりたいこと」は「怖さ」の先に。(私の人生本③アルケミスト)

先月29日にnoteを書き始めて、今日でちょうど4週間。

毎日書き続けて、思ったことは色々あるけど、一番は、

「私、文章書きたかったのかも」

という気づき。


思い返せば、

小学校1年生の時、読書感想文コンクールで賞を貰い、

小学校6年生の時、県の文集コンクールに出展し、

中学校3年生の始業式に、抱負を全校生徒の前で読んで褒められ、

極め付けは、中学3年間を通して、誰にも頼まれてないのに、その頃好きだった高校野球の結果と感想をスケッチブックに綴るということまでやってたのに、


高校が進学校だったために、受験に関係ない文章を書く機会なんてほとんどなくなり、

そこからずーっと自分の思いを書くっていうことから離れていた。

(協力隊でガーナにいた時にブログは書いていたけど、書くことを楽しむっていうよりは報告っていう意識だったし)


で、一ヶ月前にnoteを始めた。

始める時に、一番の障害だったのが、「自分の考えを公表するのが怖い」っていうことだった。


たぶん、なーんにも考えることがなければ、小学校や中学校の時のように、自由に書くことができたんだと思う。

だけど、変に世間を知って、自意識過剰になっちゃったもんだから、書きたいっていう思いを、無意識に封印していたのかもなって思った。

別にプロでもないんだし、誰も私の考えなんか興味ないだろうし、批判とかきたら傷つくし、みたいな感じで。


でも、書き始めたら、毎日書けるんだもん。

たぶん、本音は書きたかったんだよ。

別に、誰にも読まれなくても。批判されても。

まだ若い頃は、すべてがはっきりしていて、すべてが可能だ。夢を見ることも、自分の人生に起こってほしいすべてのことにあこがれることも、恐れない。ところが、時がたつうちに、不思議な力が、自分の運命を実現することは不可能だと、彼らに思い込ませ始めるのだ

結局、人は自分の運命より、他人が羊飼いやパン屋をどう思うかという方が、もっと大切になってしまうのだ。

人は、自分の一番大切な夢を追求するのがこわいのです。自分はそれに値しないと感じているか、自分はそれを達成できないと感じているからです。(中略)なぜなら、こうしたことが本当に起こると、非常に傷つくからです


パウロ・コエーリョ「アルケミスト」より



で、調子乗っちゃって、エッセイのコンテストにも応募しようかなっていう気にもなってきて。

もう少し、書きたい気分は続きそうです。

変われば変わるもんだ。笑



サポートありがとうございます! 神田の部室にもぜひ遊びに来てください♪