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奥底の自分くん(流されることと流れに乗ること)

6年前に書いてた文章見返してる、奥底の自分くんシリーズ。

10月から流れるママに身を任せて、ご縁があると感じたら、そのままお仕事させてもらったり、基本断らないみたいなスタンスで居た。

それもある意味つっぱってつっぱって、張り切って張り切って、力んで力んでがんばってきたからこそかなーと感じている。逆らって自分で考えて決めてきたほうだと思う。
でもやっぱり、人や世間や家族や空気や権威や、なんか凄い人や偉い人や成功してる人や輝いてそうにみえる人の話などなどにも流されてきた。
そこをどう捉えるかのお話かな。今回は。

ポジティブな流される。流れに乗るということが少しずつ実感できるようになったかもしれない。


流されるということ

流されるか流されないか。
という話は、両方流されている。

??
わかりにくい話からですみません。

人の意見に流される人も、その反対をいく天邪鬼な人も、両方それって流されてることになるやん!と思いました。

結局どっちも自分の意見ではなく、人の意見をベースに選択してしまっているということです。

流されない方がいいという意見に流されてるんですね。

世間の空気とか常識に流されないことはかっこいいし、破天荒やし、なんか成功者はそんな感じだからって、流されない側を選択してる、エセ自由人。

外に答えはないんじゃないかな。
外に救いはないんじゃないかな。
どっちでもいいです。

勇気を持って普通をやるってこと。ベタベタなこともアリ!やっぱ普通も押さえたいよねと。そんな感じで世間に流されることもええやん!ということです。

どっちでも大切なのは、自分で決めるということだけ。自分で決めたら両方正解。

だから実は流れは関係ない。奥底の自分くんが行きたい方向をただ行くだけ。流れが逆で押し戻されそうになることももちろんあるけど、ときには、流れが後ろから後押ししてくれる。たまに横からわけのわからん流れがくるときもある。

そんな流れとの関係性がいい。

ぼくは元々天邪鬼で、目立ちたがりな人間で、流されるか流されないかとか、人と同じか違うかという次元で考えていたように思います。完全にエセ自由人。実力ないのに扱いにくい奴。

それでも、やっぱり最初流されない選択するのって大変なんですよね。小さい勇気なんだけど、大きい勇気なんですよね。

そしてそれが確かに奥底の自分くんと話す為の第一歩だった気がする。どんな理由であれ、一回流れに逆らうのってけっこう大事かもしれない。だからエセ自由人もアリ!

何回か逆らってみてこそ、足腰が鍛えられる感じで、その経験があるから、周りの流れが関係無くなくなってくるのかな。

と、こんな小さな流れもあったらなと。

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