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あれから10年。 ーその1ー

(ヘッダー画像は2019年9月、筆者撮影)

東日本大震災から10年が経ってしまいました。早かったのか遅かったのか。自分は早かったなと思います。記憶が薄れないうちに当時のことについてまとめようと思っていたのにあっという間でした。

当時私は小学校5年生。実家は千葉県野田市。特に海が近いわけでもなく、関東平野の真ん中にあったので、津波はありませんでした。

2011年3月11日という日

その日は学年末で5時間目までの短縮日課でした。友達3人と下校していましたが、友達が忘れ物をして1度学校に戻ったので帰りが遅くなっていました。

14時46分

曇り空のなか歩いていた3人を揺れが襲いました。地震の多い地域に住んでいたので揺れ自体には慣れていましたが、電柱が揺れていたことで恐怖を感じました。当時いた場所は通学路の、物流会社の敷地のそば。そこの会社のおじさんが「しゃがめ!!」って叫んでくれたおかげで屈むことができました。とても長い揺れでした。3分くらいの間に見た光景は今でもはっきりと覚えています。敷地内のトレーラーやトレーラーヘッド、社員の車など全てのものが揺れていました。野田市では震度5強が観測されました。

14時50分

揺れが収まったあと、歩いて帰りました。なんで歩いたんだろう。走って家に戻ったほうが親を安心させられたのに、と最近思います。途中で薬局で点いていたテレビを見て、東北が震度7だということを知りました。

15時15分

ゆっくり歩いて帰ったせいで、15時15分に起きた地震 (最大の余震、震源は茨城県沖で、Mw = 7.6)にも通学路で遭遇しています。この揺れではアスファルトの割れ目が互いに別の速さで振動しているのを見ました。一緒に帰っていた3人のうちの1人のお母さんが同じ頃通りかかって、親が心配していることを聞きました。そこからは走って帰りました。

帰宅してから

家に帰ったのは15時25分頃。母親に怒られた記憶が強いです。理由はほぼ同じ時間に下校した2つ下の妹が10分以上早く帰宅していたから。心配かけてごめんって思いました。

隣の家や自分の家のテレビから緊急警報放送の音が聞こえました。現実をしっかり認識した瞬間でした。

そこからはテレビで流れる津波の映像に衝撃を受けながら、家の片付けをしました。強い横揺れで本棚が動いてしまったので戻したり。その頃から自分の机周辺は汚かったので、整理に時間がかかりました。

父親は50 km 離れた千葉市で仕事をしていますが、車だったために、帰宅困難者にはならずに済みました。定時より早く帰宅命令が出されたようで、夕方に帰ってきたような記憶があります。

その後はご飯を食べ、お風呂に入って寝たようです。ここまでが当日の記憶。

振り返って

今までの人生で1番大きな揺れを感じた日。命の危険をはっきりと感じたのはこの日が初めてだったと思う。


翌日以降のことはその2に続きます。


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